雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

「時の翼にのって」

 

こんばんは。

第二回リレー小説、終了しました。

今回は多数のみなさんにご参加いただき、絵師さんも要所要所でファインプレーをご披露くださって、最終的には無事(??)、のんびり花見しながら弁当を食うだけの平和なおはなしとなりました。

まさかの!ハピエンです。

 

スレッド:

 

ゆりさんが作ってくださったまとめ:

 

みなさん感想までお上手……そういうのを言語化するのが意外に苦手なわたしはそちらもそのまま引っ張ってきたくなるほどでした。

ひとつだけ追加しておくと、44でかぶったときに速攻消した自分、グッジョブ👍 ぶたじろうさんの44、45があってひとりでわっと盛り上がってしまい、最後突っ走ってしまいました。

 

 

今日は恒例の(??)後日談です。終了まで書いたあと、自動的に浮かんでしまったおはなし。いつも残り物を総ざらいするみたいなことしてすみません。

タイトルはあのドイツ映画より。人間社会に傷付けられてばかりいる薪さんがそれでも人間を救おうとする、というイメージですが、内容はシリアスに見えてシリアスではありません(なにせ異次元設定)。途中で不穏なセリフが出ますがこちらもハピエンですのでご心配なく。

 

時期は2061年頃、「冬蝉」あたりを想定しています。青木がまだ1年ちょっとの新人で、まだ雪子さんと付き合ってなくて(別にその後の展開を無視してもいいけど)、薪さんが鈴木さんを思い出して暴れたりする程度には元気になりつつある頃。

いろんなものめちゃくちゃ回収しました。

 

 

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時の翼にのって

 

 「僕に聞きたいことがあるんじゃないのか」

 俺は薪さんの家のキッチンで、人工大理石の調理台の前に立っていた。プライベートをあかさない室長の自宅に入ったことがあるのは、これまでのところはたぶん岡部さんくらいだったろう。まだまだ新人でぺーぺーの俺が今回呼ばれたのは、物欲しそうに何度もエビフライの話をしたせいだ。時空を超えた経験がふたりの新たな秘密になったとはいえ、普段のあの不機嫌そうな表情が影を潜めておまけになわばりに招き入れられたのは、実は意外だった。

 洗練されたタワーマンションのすっきりした水場だが、俺が何かしようとすれば腰を痛める。それは標準的なキッチンではいつもそうだから慣れっこだけれど、今日俺が味見係に徹しているのはそのせいではない。薪さんはパーティでも開くのかという量の立派な海老を何種類も仕込んできて、料理用ではない日本酒を片手に、揚げ物をしていた。

 できたそばからまずいただく。からりと油の切れた大きな車海老は、あの日ふたりから拒絶されたものだ。花見弁当のリベンジは本心ではおまけでしかなく、確認したいことがあったのが第一義だったにもかかわらず、尋ねられた答えを言い出しかねて、俺はしっぽまでばりばりと食べ尽くした。

 「さすがですね」

 なにがって、薪の弁当はウマいぜ、とドヤっていた鈴木さんの評価が。言ってしまえば次々と、よく作ってたんですかとか、今は料理どころか食事もまともになさらないのにとか、当たり障りのない発話を続けてしまいそうで、恐ろしい考えをみすかされそうで、次のフライに手を伸ばした。

 「聞きたかったんだろ。なんで僕が、僕を殺さなかったか」

 「――」

 だが直球で問われれば、手も口も止まる。

 俺がご馳走を載せた小皿と箸を調理台に置くと、薪さんはIHの火力を調整して、だが次の犠牲者を放り込む手を止めずに、問わず語りを続けた。

 「あの場所で、鈴木のほうが僕を見つけたんだ。大きな重箱を持って、どこ行ってたんだ、って言って。最初は自分に何か起こって死んだんだな、って思った。だから作った記憶のない弁当を持たされても、ふわふわのうさぎ耳を頭に載せられても、なにも気にしてなかった。

 そこへおまえが出てきて気がそがれた」

 「あ。そ、それはほんとにすみません」

 「デカい新人が妙なことを言うのを黙って観察した。もしこれが死後の世界で僕の記憶と感情が作り上げた残像なら、言ったりやったりするはずのないことをおまえはしてた。だからどうやら生きてるらしいとわかって、死んだと思ったくらいだからもう異次元でも平行宇宙でもなんでもいいかと思って、それで」

 「……それで?」

 「弁当を食うことにしたんだ」

 薪さんは淡々とエビを揚げていた。きつね色の衣の具合をみて、絶妙なタイミングでオイルから引き上げる。

 「二度と会えないはずの親友が、並んで笑ってるんだぞ。おまえに突っかかって、僕を後ろから抱いて、桜が咲いてた。二十歳の自分を探し出して殺すのなんか、あとでいいだろ」

 「あとで、するつもりだったんですか。本当に」

 「最初は本気だった。でも鈴木が古い物真似をしたりおまえにマウントとったりしながら僕を守ってるのを見たら、ここで僕が僕を殺せば、鈴木を残りの一生、悲しませるんだな、って」

 俺も考えていなかったことじゃない。時の流れは修正できないというのはタイムパラドクスの定番だ。もしこれが東大入学前の話だったら、鈴木さんと出会う以前に時空がつながっていたら、この人はまっすぐ当時の住処に行って、子供の自分を探し出して、躊躇なく殺したんだろう。他に何も策を練らなくてすむ、もっとも確実な手段だからだ。

 だがあの時間軸のふたりはもう出会っていた。春の日差しのなかで改めて見出されただけだ。俺があの日初めて対面した先輩捜査官はずっと、ずっとそうやってこの人を守ってきた。鈴木さんが薪さんを見つけて、あの声で薪さんの名前を呼んだ瞬間から、薪さんにできることは何も無くなっていたんだ。

 ただあの時間を、ゆっくりと過ごす以外には。

 「俺、お邪魔しちゃったんですね」

 「僕がおまえを呼んだんだよ」

 薪さんは菜箸を器用に使ってボウルの具をかきまぜると、次に桜エビのかき揚げを鍋に入れた。自分では絶対食べないだろうメニューを、俺のためにわざわざ用意してくれたんだな、と思った。

 「決意はしても、緊張してたのかもな。過去の自分を殺すってことは、今の自分を亡きものにするってことだから、岡部に説明する必要があると思ったんだ。これから死ぬってのに「第九」の未来が心配になった」

 「岡部さんにも電話なさったんですか」

 「してない」

 「でも、いま」

 「だから、おかしくなってたんだよ。あの桜吹雪のせいで。それか僕はほんとに死にたくて、そんな世界の境目にいたのかもな。しばらくふわふわして現実感がなかった。時間もちょっと行ったり来たりして、なにを最初に計画したのかぼうっとしてた。おまえが僕たちの圏内に入ってきて、やっと時空間が固定されたんだ」

 丸く形を整えて、崩さないようにひっくり返す。ほとんど甲殻類しか入っていないような、豪勢な小さなボールだった。

 「おまえを呼んでよかったと思った。3人で嘘みたいにのんびり花見をしてるうちに、帰れなくなりそうな気分だったから。帰りたくなかったけど、帰らなかったら、あの世界にふたりの僕が存在して、やっぱり僕は僕を殺さなきゃいけなくなるだろ」

 その「僕」が今度は、あの時間に所属していなかったこちらの薪さんだ。

 「鈴木が命を懸けて守った僕を、一緒にいたいからって理由で葬るなんて、あいつが許してくれない。おまえなら、連れて帰ってきてくれると思った」

 本郷キャンパスにいる、迎えに来い、来ればわかる。そんな電話を、たとえ勘違いでもぴりぴりしながらでも、俺にかけてくれたことに感謝した。その一瞬の判断にどっと冷や汗が出そうになった。俺はこの人をこちらの現実につなぎとめる役割を与えられたのかもしれない。いつどうやって留守番電話にメッセを入れたのか皆目見当がつかないけれど、あちこち矛盾したつながりのないエピソードがやっとひとつのものがたりにまとまったような理解が、脳髄を落ち着けてくれた。

 天麩羅がいい色に染まってきた。よく見ると具の中にエビ以外のピンク色のものがあった。ハート型の、花びらだ。仮に食用でないとしても火を通せばまず問題ないが、季節を過ぎた猪目を、いったいどこで仕入れたんだろう。

 「ところでおまえ」

 薪さんは少し酔いが回ったようで、微妙な笑顔を口元にのせて俺を見た。「あのとき、ずいぶんめちゃくちゃなことを口走ってたな」

 「え」

 「僕の生き別れの兄弟だとか」

 「言ってません」

 「見た目が高校生に間違われるくらいとか」

 「それは事実でしょ」

 「鈴木が水虫とか。髪の毛が薄いとか。ニートのまま10人の子持ちとか」

 「最後のは俺じゃないです」

 「無職でパラサイトでもなんでも、かまわなかったのにな」

 ぽつりと言った頬が染まっていたのは、「乾坤一」のせいだったのかもしれない。顔には出ない人だけれど、飲むばかりの家主と食べるばかりの客は身長差も立場も滅茶苦茶で、あの四次元の座標系から舞い戻ってきたあとの微妙な空気によく合っていた。

 「結婚を申し込まれたのも初めてだった」

 ああっ、やっぱり覚えてたんですね。

 「いやあの、すみません。色々飛ばしちゃって」

 「飛ばしたことを謝ってるのか」

 「自分のこととか、あの場のこととか、飛んじゃいました」

 「ふうん」

 薪さんは無表情にグラスの酒をあおった。桜入りの小エビのかたまりが油切りに載せられる。

 「でも、俺も初めてでしたよ」

 「なにが」

 「プロポーズを受け入れてもらったの」

 「誰に」

 「え。と」

 なんだろう、都合のいいことばっかり忘れられてるような。それとも都合の悪いことになるんだろうか、この場合。

 「熱いうちに食え」

 「いただきます」

 まあいいさ。にこりともしていなくても俺にはわかる、今日の薪さんはなぜかご機嫌だ。あの日ほどではないにしても、リラックスして、きれいで、穏やかだ。上司と部下の立場を忘れて、寄り添って立って、休みなく飲んだり食べたりしながら、ふたりだけの記憶をシェアしている。これは鈴木さんさえ知らない、俺たちの秘密だ。

 

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