こんばんは。
突然寒いですね。あまりの寒さに床暖と、夜中過ぎてからエアコンの暖房も稼働しました。猫さまたちは喜んで温かさを味わっています。
金曜日に駆け込みの出張があったんですが、県北部では街路樹が紅葉を始めていたところがありました。我が目を疑った。一瞬そんな色の木かと思ったものの、明らかに紅葉でした。
まじか。夏至を過ぎると「あとは冬至を待つだけだだね」があいさつとなる、夏の終わりが恐怖の北東北です。でもまあ今年は夏が来ただけよしとする。
出勤しない在宅勤務の日々が続くと、頭で理解しているカレンダーと認識している現実がズレ始めます。お盆だと分かってはいても、さっき「あ、お盆か」とやっと気付いた。
で、ちょっと考えたんですが。
鈴木さんが亡くなったのが、8月10日の日付変わってすぐでしょ。15日のお盆はお盆どころじゃなかったよな、などと考えていてふと、彼は事件で亡くなったんだから、脳を取り出すのとは別に、司法解剖があったはずだ、と思ったんです。
アメリカの犯罪捜査ドラマばかり見ている立場からわかるのは、まず検視官は雪子さんではない。いくら付き合いが短いからといっても、カノジョでは冷静な判断ができないだろう、と外されるはずです。当然脳を取り出したのも別の人です。
でもそんなことより(←雪子さんは最終的にはどうでもいい管理人)、事件の当事者である薪さんは当事者であるがゆえに、おそらく調査が始まってからは鈴木さんに対面できなかったはずなんですよね。
ドラマでは捜査官なんかが亡くなると、親しかった同僚が司法解剖室にやってきて、何十分もぼーっと突っ立ってたり話しかけたり、遺品を手渡されたり、そこへ情報が入って犯人をぶん殴りに行ったりするんですが、薪さんの場合は「防犯カメラ・物証から疑う余地のない」正当防衛と認められはしたものの、なにせ撃ち殺した当事者ですから。当事者や近親者は事件から距離を置かされるのが当たり前です。データを操作するとか隠蔽するとかよりも、すると「疑われる」こと自体がそもそもまずいからです(その意味では身内である青木がお姉さんの殺害事件には、土下座したって関われないのは当然です)。
薪さんはその後無罪放免となって、鈴木さんの脳が取り出されて、遺体が実家に送られる前なんかに、会えたりしたんでしょうかね。お葬式でのあの取り乱しようを見る限り、そうでもない(つまりずっと会えなかった)んじゃないかと思ったりします。このへんは妄想するのもツライのであまり考えたくない。
ところで6巻を読み返してたら、「特別編 コピーキャット」で、鈴木さん買ってました、指輪。あそこのMRI画像、青木の夢が途中から鈴木さんのMRI画像に変わるので、あんまりちゃんと認識してなかった。やっぱりそろそろ一度通しでちゃんと読み返さないと。
イニシャル「など」刻印まで入れてた、くそっ。「Love Forever」とかだったら許さんよ。返品はできなかっただろうな、海にでも捨てたんでしょう。というのは穂村弘の大好きな短歌「海にでも沈めなさいよそんなもの魚がおうちにすればいいのよ」からの連想で、たぶん引き出しに入れたままでなんとなく悩んだままで亡くなったはず……遺族が発見してびっくりしたりしたのかな。雪子さんには知らせないでいてくれたことを祈ります、いろんな意味で。この想像も三角関係??がややこしくなるからやめ。
でもあの6巻の流れだと結局さあ、鈴木さんが指輪を渡さなかったのって、雪子さんが薪さんを見てたから、ってことになりませんか。滝沢が色々勝手なこと言って青木をいじめたのとは違って。
↓ この流れ
あるいは雪子さんの気持ちは関係なくて、雪子さんの視線の先にいた薪さんを見て、薪をほっといて結婚なんかできない、と思ったのなら、全面的にオッケーです。
↑ この展開はすでに過去に検討していますが、この場合には雪子さんとはのちのち別れていただきます、「薪を置いて結婚はしないけど雪子のことは好きだから付き合い続ける」というのは(鈴雪の繋がりが強すぎるので)いちばん許せないパターンです。
できれば指輪にイニシャルなどを入れる前に気づいて欲しかったです。そしたらその指輪の代金で、またシャトー・オー・ブリオンを何本か買えたのに。
結婚できないな、と思ってから旅行には行かないでしょうから、この指輪事件は、2059年7月6日の、仙台の「第九」第2管区建設予定地視察を兼ねた旅行よりも、あと、ということになります。
なんなら「こんな時間は今だけ」だと思ってた「データ消失」事件よりあとでもいい。鈴木さんにはもっと生きて、そんへんじっくり悩んでほしかったよ。
何度もしつこく書いてますがわたしは薪さんさえ幸せならいい人間なので、鈴木さんには薪さんのそばにずっといて支えてあげてほしかった。あくまで大親友としてですけど、親友が性愛に劣るとは思っていないので。
それでつい鈴木さんが何を考えてたかを(特に雪子さんがらみと最期の数日について)うじうじ考えてしまうんですが、無駄なことしてるんでしょうねたぶん。本編の頃にシーズン0の設定はなかったはずだし、長い連載では整合性がとれなくなるのは普通だし。あとどっかのインタビューで清水先生ご自身がおっしゃってた、「そんなに何もかも理屈が通ってなくていいんだ、って思った」みたいなこと。確か萩尾先生の何かを読んでそう思った、ってことだったような。
薪さんに堕ちて初期の頃にいろんなもの(インタビュー記事とかよそさまのブログとか)読んだので、本編と同じくだんだん記憶が怪しくなりつつあります。インタビュー記事とかもまた読み返してみよう。