雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

「アレシボにて」

 

青木、誕生日おめでとう! 薪さんをよろしくね! 薪さんを幸せにしてくれる範囲なら、どこまでもあんたを応援するよ✨

 

お祝いに、去年書いた青木の誕生日の香港旅行記の続きを書こうか(っていうか書きかけで放置してあるのを整えようか)と思っていたのですが、すぐ直せない程度の気に入らなさで、できませんでした。そっちは今後機会があったらまた頑張ります。

今年はいつもどおり、「誕生日ネタじゃなけど青木がいい思いしてるおはなし」です。

 

前々回の記事にあげた短いアレシボのおはなしを少し直して続きを足して、支部にあげました。加筆修正の痕跡が見えるのが恥ずかしいので、5日の記事に貼り付けたぶんは削除させていただきます。内容は変わってません。

アレシボ崩壊を知ったときの雑記:20201123

アレシボ運用終了が気分的に決定的になったときの雑記:20201205

 

これ、いちばん最初は、ハダカで寝てる青木(毛布かぶってる)とハダカの背中をさらしてスマホ見てる薪さん(腰から下は毛布かぶってる)という絵ヅラの妄想から始まったんです。それっぽい絵、どこかにありそうな気もするんですけど(見たことはないですけど)。

 

www.pixiv.net

 

 

すばる望遠鏡ですが、相方が見に行ったことがあるんです。

我々が「星野先生」と呼ぶ星の先生がいて(※ 本名は違うけれど名前を覚えるのが苦手なわたしがどうしても覚えられないため「星野」という偽名(?)となりました)、飲み仲間でした。東北大学の理学部大学院にいた頃に主にチリをフィールドとしてタイタン(だったと思う)の観測をしており、ポスドクが終わってからハワイの観測所に出向し、仙台に戻ってくるたびに集まって呑んだ人です。出向終了後に研究の仕事がなかったので四国の一般企業に就職して、観測装置みたいな機械の設計・運用に関わりつつ会社の社長の好意で京都大学で研究を続けていたのですが、研究では食っていけない、と少し前に完全に企業の人となりました。学問から遠ざけるには惜しい人材でした。

とにかくその星野先生がハワイにいた頃、遊びに来てくださいと呼ばれた相方が、実際に遊びに行ったのです。マウナケア山頂の観測所、確かナショジオかなんかで読んだことあるけど、ほんとにのぼるだけで1泊しないと高山病になるようなところで、行って帰ってくるだけでえらい日数になるので、めったな人は行きません。

なおわたしは真性文系のため、物見遊山で行くには高額すぎる、と誘ってもらえませんでした。涙