こんばんは。今回も言語の話しかしてません。
みなさん 外国語のお勉強、してますか。薪さんと同じ趣味を持つのは、楽しいですよ。相変わらずさっぱり覚えられないのは、趣味だからいいの。そこは薪さんと違うの。
今期のNHKラジオ講座ですが、フランス語はなんと、初級後半でした。一回ひととおりやったことがある人を対象に、復習しながら進めていく、というターン。前回の半年は入門でしたが、やっといてよかった、でないと今期はむりだったよーー。
まさか他の言語も、と構えたところ、他はちゃんと入門からでした、よかった。初めてのドイツ語の初回なんか、単語3個「する」「食べる」「飲む」だったもんね。3回目でいきなり「〜できる」が出てきて、もう助動詞かよ、と驚きましたが。あと複文まで出てきた。早すぎるだろ。っていうか名詞文より先に動詞文、最初はまじかと思ったけど、印欧語は名詞文もbe動詞を伴ってて活用するから、結局動詞文と同じなのかもしれない。いまのところ、ドイツ語の語順の自由さに逆に翻弄されています。
中国語もまた大学以来の2度目をやろうかと思ったんですが、中国語は耳だけ学問は難しそうだなー……テキストを睨んでやるほどの余裕はないんだよな。試しに聞いたら講師陣のテンションが高すぎて、セリフを読んでる感じの他の講座とは違い、ラジオ番組みたいでした(ラジオ番組だよ)。第一課では並行宇宙にある惑星で、コブラとカエルの宇宙戦争が始まりました。映画みたいな背景音楽付きでした。なおナレーションは講師とは違うなんとかいうアナウンサーが日本語で担当してて、完全にドラマでした。初回の講座内容じゃないよ、これ。
中国語はピンインや声調を確認するための画面もあって、手厚いです。iPadでは録音機能は使えないようです。
中国語だけは、さすがに混ざらないね、他と。フランス語とロシア語とドイツ語まとめてやってると、なにもかもが混乱します。知ってるはずの人称まで混ざり始めます。
なおドイツ語の先生は関西アクセントが抜け切れてなくて、ロシア語の先生に至っては完全に関西アクセントです。こんなところにも多様性が、と感慨深いです。
問題のフランス語初級は、今回は日仏カップルの同棲日記です。脳内で青薪に変換すると興奮できます。
初回は青木が薪さんを起こすところから始まりました。薪さん、いきなりベッドの中でした。
「薪さん、朝ですよ」
「ん。んー……おはよ」
「コーヒーが冷めますよ」
「ん。起きる」
※だいぶ甘く変換してます
寝坊の理由を語ってほしかった。
「シリアルとクロワッサンとトースト、どれにします?」
「トースト」
「バター、もっといりますか」
「いや、はちみつがあるからいい」
食べてるものまで甘い。ふうふ感があってよいです。
白泉社における多言語のできる天才といえば、『ツーリング・エクスプレス』のシャルルですね。高校までに3年飛び級をしていて、母語のフランス語と同時通訳できるロシア語の他に、英語・ドイツ語・スペイン語・アラビア語、個人的になんでそれをと思うイタリア語・ポルトガル語・オランダ語もできます。あと一個は中国語だったかな。なお恋人の殺し屋ディーンはもっとできるようです(なぜなら奴はロシア語の方言や日本語もできる設定だからです)。
とはいえ現実世界においてはわたしは、多言語が完璧にできる天才の存在を信じていません。いるんかな。
例えば印欧語母語話者で印欧語がいっぱいできる人は、いると思うよ。たいした苦労じゃないし。スロヴェニア人も、「わたしたちにとってクロアチア語は(似てるから)外国語じゃありません」って言ってた。あと子供の頃に外国暮らしをしたなどの環境設定でバイリンガルになるなら、似た言語じゃなくても全然ある。
ただしそれがさらに数が増えるとなると簡単ではありません。
学生時代、友達とか後輩とかでたまに帰国子女がいたけど、バイリンガルの人はどうやらどちらか一方の言語が母語で、もう一方の言語はどんだけバイリンガルでも母語よりは少々、ただし確実に劣っているようでした。
中にはどちらが母語という具合に偏ってない人もいたんですが、そういう場合は両方の言語にどこか最後の0.1%くらいのクセが残るようです。言語に対していわゆる「耳がいい」わたしからすると、「何か違う」部分が残ってるので、すぐ「あ、バイリンガルだ」とわかります。
ある日後輩のそれに気づいて聞いてみたら、意図せずすごく傷付けてしまいましてね。彼の場合はアメリカ育ちの日本人だったんですが、他人が聞けば英語も母語もどちらも完璧なのに、自分自身だけが気づいている「ほんのちょっと」の母語話者と違うところがあり、咄嗟の場合に一瞬どちらの言語でも言葉が出てこないことがある、と言ってました。それを本人はいたく気にするのです。なぜなら言語はアイデンティティだからです。
その、気づいてしまって尋ねてしまって意図せず傷付ける、というやつを、別々に4人相手にやってしまって、「初めて気づかれた」とか「隠してたのに〜」とか言われてやっと、あかんことした、と自覚し、以来「帰国子女?」とか「バイリンガル??」とか聞くのはやめにしました。
そうした経験からわたしが個人的に得た結論は、
・人は母語を一個しか持てない
・ゆえに完璧なバイリンガルになれる人は(たぶんほとんど)いない
というものです。
だから「地元民と同じ発音ができてバケることができる」(←ディーン)ような外国語の天才の設定とか、薪さんみたいに公式でも全然違う種類の言語をすらすら読んだり喋ったりできる設定は、物語というかむしろSFだな、と思うわけです。
わたしが傷つけてしまった友人たちは、当時二十歳前後の学生ですから、それからの言語の発達でどちらかが完全な母語になり、それによって心の平和を手に入れたのではないか、と想像しています。
それにあれから30年、言語教育界の方向も「そもそも母語話者と同じように喋れる必要はない」、つまり目指すものは母語話者の発音や文法ではない(なぜなら母語話者じゃないんだし、母語話者にはなれないから!)、と舵取りが変わりました。それはとてもよい方向転換だと思う。誰もが外国語の学習を一度くらいはするようになったいま、そして世界が狭くなったいま、仕事や留学で実際に言語を使う人だけでなく、旅行程度であればいい人、ただ読めればいい人、わたしみたいに趣味でやってるだけの人、いろいろいるんだから。
発音や文法や出来具合、つまり到達目標だって、多様でいいんです。だからラジオ講座の先生が関西アクセントなのも、全然オッケー。
とはいえ天才大好きのわたし、理系がいちばんだけど語学の天才はありえなくても憧れるので、薪さんはどうやって勉強したのかな、などと思いながら、今季もせっせとラジオ講座に励みたいと思います。