雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

秘密の外国語の文字3 表音文字

 

こんばんは。

今日読んでた歌集にこんな短歌がありました。

シャーペンの芯ぴちぴちと折りながら怒ツテヰルと口には出さず 石川美南

 

この「ヰ」、出せなくて困った。どうやったら出るのかわからなくて(「ゐ」なんかは「wi」で変換できるんですが)、記憶を頼りにヰタ・セクスアリスって漫画(※)あったな、と「タ・セクスアリス」で検索したら、元ネタ(???)の森鴎外(←読んだことない、日本文学ほとんど読んでない)が出てきて、その文字をネット上からコピーしてきました。

立原あゆみ『麦ちゃんのヰタ・セクスアリス』:読んだことはなかったし中身も知らないけどタイトルだけ漠然と覚えていて、適当に検索したら別の人のBL漫画が出てきて、自分の元ネタだった立原さんのほうに辿り着くまで苦労しました。わたしの検索ジャーニーにはよくあるパターン。

 

なお「ヰ」は「ゐ」のカタカナです。ワ行は現代ではア行とア段以外発音が同じになっていますが昔はイ段エ段オ段で発音が異なったため(「ウィ」「ウェ」「ウォ」みたいな発音だったらしい)、文字が異なったようです。

ようです、というのは、ひらがなは1900年の小学校令で統一されるまで、そもそもひとつの音に対して複数あったので、「発音が異なったから」文字が異なった、というだけではなかったのでは、と思ったりもするからです。この現代の五十音図と異なる異字=変体仮名、は時代としての理由から基本的にフォントが存在しません。手書きのデータしか残っていないわけで、正直自分で見てみてもかたちがよくわからんです。「薪さん江」の「江」なんかは実は漢字じゃなくて変体仮名らしい、というのは聞いたことがあった。

 

なおひとつの音に複数の文字が当てられるというのは、母音字と子音字の組み合わせで音を表すアルファベットのような(英語のような)言語ではない日本語、つまり母音と子音が最初からセットとして認識されて1文字ずつに割り当てられたひらがな・カタカナを持つ現代日本語、に慣れた我々としては違和感がありますが、現象としては実は珍しくない。そもそも英語がそう=文字と音が1対1で対応していないし(そもそもつーても他に知りませんが)、あとヒエログリフがそうです。あのわけわかんない絵文字のような文字、1音に対して文字が複数あるので、めっちゃ数が多いそうです。

ついでにいうと、絵文字「のような」文字、と言ったのは、ヒエログリフは(発祥はともかく)表意文字ではありません。鳥とかよく出てきますが、鳥の意味はありません。あんなナリをした文字なのに、ほぼアルファベットです。びっくりしますよね。友人でヒエログリフの読み書きができる人がいて概要を教えてもらったことがあるんですが、わたしも個人的に『ヒエログリフであそぼう』というスタンプセットを持っています。

books.rakuten.co.jp

AmazonだとURLの貼り付けがうまくいかないので、楽天ブックスから引っ張ってきました。こちらは日本語版ですが、わたしは学生の頃にメトロポリタン美術館の通販で(当時は郵便だった)取り寄せました。アルファベット対応のスタンプと解説書が入ってます。

 

 

で、冒頭ご紹介した短歌に戻るんですけど。これ薪さんですね。いまさらですが。

ということを言いたかっただけなんですすみません。みなさん読んだ瞬間に思ったでしょ。短歌お題でおはなしとかありません。こんだけ長々と文字の話をしたのはついでであって、内容と関係ありませんでした。

 

 

薪さんは外国語の習得が趣味だから、ヒエログリフは読み書きできると思います。

友人のヒエログリフの読み書きができる人というのは、西夏文字も読めるんです。ついでに中国語とロシア語もできます。頭よくてほぼ天才ですが薪さんほどではないので、だから薪さんも読めるはずだ(帰納法、たぶん)。

 

2年ほど前に書いた「黄金比」で、舞が「西夏文字ヒエログリフの研究過程の関連性についてまとめたレポートが学長賞をとって、副賞でディズニー・リゾートへ遊びに行った」というくだりがありますが、それはこの友人から聞いた話が元になっています。小難しい話になるので(でもめっちゃ面白いよ)、このへんはまたの機会にご紹介します。教えてもらったのを復習して、西夏文字で「まきつよし」とか書けるようにしておきますね。

 

* * * * *

 

このブログを開設してから、一週間以上あいだが空いたの、初めてじゃないかな。いまいろんなことのインプットとアウトプットが難しくて、漫画なら読めるかと思ったものの4つくらいハズレ続きで面白くなくて、世間的には評判よかったりするものだから恐怖ですね。自分の感性が劣化したのかと思ってしまう。さまざまな理性的な分析から、そうじゃないと断言してなんとか踏みとどまってますが(ただし感性が時代と合わなくなったというのはある、つまり社会がおもしろいと思うものを自分は論理的な理由があって評価できない、という……昔なら流行り物がおもしろかったかというとそうでもないんだけど、世間の認識と自分の認識はもうちょっと一致してた気がする)。

書くほうもふっと思いついた小ネタをスルーして逃すことを繰り返し、バランスを立て直すのにやっきになってます。

 

実際より体感としてだいぶ長いこと書いてなかった気がして、自分でも読みにくい記事だと思うんですが、まあもともとわかりやすいタイプでも愛想のあるタイプでもないから、とりあえずこんなところから。

戯言にここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。