今日はちょっとオタクにまつわる思い出話をします。
わたしは人生でけっこう寄り道してまして、浪人もしたし留年もしたし休学も退学もした。しなかったのは留学くらい。学生終了後はしばらくフリーターだったし、就職は30代半ばとよそさまより一周遅かったです。
で、寄り道してるあいだは学業だけじゃなくて、人生そのものをけっこう寄り道してまして。当然のようにそこらへんで得難いものを手に入れています。
今から30年前(……)の、浪人時代のことです。
予備校で隣県から来た同じ学年の女子に出会いました。これがのちの親友となる Чちゃん(←キリル文字、発音は「チェー」)です。
我々が所属していたクラスは人数が少なくて女子が5人しかいなかったので、あっというまに5人ともけっこう親しくなりましたが、Чちゃんはちょっと特別でした。
彼女は絵を描く人だったのです。
当時わたしは既に二次創作から遠ざかっており、なぜかオリジナルを書いていました。
そしてさらに意味不明なことに、どういう経緯だったかさっぱりなのですが出会ったばかりの Чちゃんに、それを読ませたんですよね。浪人生、勉強もせずに。
彼女が驚きだったのは、それをイラストというか漫画化してくれたことでして。気に入ってくれたんだな。
ちゃんととってありました。
彼シャツなんて言葉どころか概念もなかった(のに書いてた/描いてた)18歳浪人生、うまいでしょ。
感激したわたしがその後調子に乗って勉強もせずおはなしを書き続け、ついに予備校の国語の先生にまで読ませたのは、いま振り返ってみても大変な暴挙でした。
Чちゃんのほうはというと、彼女も創作に目覚めて?? オリジナルを描き始めます。浪人生だったっつーのに。
ちゃんととってありました。
誕生日とかクリスマスとかにはカードもくれました。
当時既にとらちゃんのお母さんという絵のうまい知り合いがいたので、フィルターかかってましたが。
やたらとうまいですよね?
これらの創作活動が原因ではなく受験勉強に飽きたわたしは、親が第三、じゃなかった東京の大学だったら金は出さない宣言をしたこともあり、現役時代の志望校を諦めて実家から通える学校に適当に入ることを選択することになるのですが、Чちゃんも結果的に同じ学校(ただし彼女は頭よかったので法学部)に入って、その後わたしとの付き合いが続くことになります。
なおうちの親は地元の大学に入ったのに学費をくれませんでした。ヒドイ。
閑話休題。
なにが驚きかというと、こんだけうまくて妄想までして自分でも描いてたのに、Чちゃんは一般人だったんですよ。
オタクじゃなかったんです。いまでも一般人です。
普通にしてたら出会うことのなかった人生だった、と思うと、なかなか感慨深い。
とらちゃんのお母さんにはわりとすぐ二次創作復帰を宣言(?)して、おまけに書いたものを無理矢理読んでもらい、結果的に清水先生の公式『秘密』にまで引き摺り込みましたが。
Чちゃんは一般人なのでまだ白状できていません。
白状できてないのにこんな思い出話をしたのは、一昨日、彼女からお見舞いとか引っ越し祝いとかその他いろいろひっくるめた贈り物が届いたからです。
オタクでもないのに手書きの手紙が添えられてるあたり、付き合い長いから相互によくわかる。
こちらの猫は、本人曰く「もらって困る手作り品」だそうです。
うまいな! 彼女、猫飼いですらないのに。あっというまにしっぽをかじられましたけれど。
30年前、オリジナルの方がハードルが低かったのは、なんでだろう。
実際いま読み返すと黒歴史でしかないんですが、っていうか黒すぎてとても読み返せないんですが、よそさまに挿絵をお願いしたりこうやって漫画にしてくれた友人がいたり、ということを思い出すと、稚拙すぎて恥ずかしい作品ですら、書いてよかったと心底思えます。
そして、今やってることと実際変わらんな、とオタクであったことに喜びを感じるのでした、マル。