雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

秘密の手話

 

わたしのお気に入り、NCISの主人公である捜査官のギブスは、手話ができることが判明しています。 ←自分が目をつけた男が自分が望む程度に頭いいことがわかると満足する管理人

 

シーズン13第12話でのこと。

分析官のアビーとその弟はコーダ(CODA、Children of Deaf Adults、聴覚障害者の親を持つ耳の聴こえる子供のこと)です。CSIの主人公ギル・グリッソムもこれでした。コーダは親が手話ができる場合には通常、手話と聴覚言語(彼らの場合、アメリカ手話と英語)のバイリンガルになります。

弟が取り調べを受けてアビーとふたりで手話で会話していると、そこへギブスが割って入ります(英語字幕は手話の訳です)。

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「このおっさん手話できるのか」と驚く弟。

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前にも書きましたが、北米の普通に頭いい人たちは、日本人の普通に頭いい人たちがそこそこ英語できるのと同じ程度に(※)、手話ができます。ゆえに警察ドラマや医療ドラマにも、手話のできる人が出てくることはけっこうあります。

※ このへんの「程度」は管理人の主観によります

 

今回は違いますが、実際に聴覚障害を持つ(聾者の)俳優とかもいます。

身体的ないわゆる障害と演じる能力は別のものであることがはっきり認識されていること、現実の社会の多様性をドラマにもある程度反映させる努力がなされていること、がこうしたドラマ作りからわかります。

 

 

さてここでギブスたちが使っているのはASL(Americam Sign Language、アメリカ手話)です。これは日本で用いられている日本手話とは全然違う言語です。世界中で用いられている言語がいっぱいあるように、手話も地域によって全然違って、種類はいっぱいあります。

わたしは趣味と実益を兼ねて日本手話をほんの少し習ったことがあるのですが、まあ言語学習ですからね、若者のほうがすぐ上達するし、つまりおばちゃんに言語学習はなかなか難しくて、それに使わないと忘れます。

 

こちらタジク、カザフ人なのにサラとなぜか日本手話で会話。

「大丈夫」とか、超初級語彙です。

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なおASLと英語、日本手話と日本語もそれぞれまったく別の言語なので、当然ですが日本手話と日本語は文法も違います。

こちらは「(あいつとは)別れたほうがいい」という文を、タジクが「勧める→別れる」という表現の仕方で示しているところ。

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あとねー、手話って表情も大事、っていうか表情や体の動きや態度も、手話の一部なんですよ。っていうか実際には手話は手の動きよりも表情のほうがずっと重要、って言われるほど体全体で表現する言語で、首とか唇とか舌の動き(発話を読み取るいわゆる読唇という所作ではなくそれとまったく無関係の、手話の文法の一部としての動き)がすんごく重要なんですよ。

タジクみたいに無表情な奴は、聴覚障害者からは「あんたの手話はわかりにくい」と言われます聴覚障害者は聴者の日本人と文化も違って、かなりはっきりずばっとものを言います)。

わたしも習ってるときに何度「表情が固い」と言われたことか……わたしが愛想悪いのはデフォであって、耳の聴こえる日本人からも愛想悪いって言われるんで、やさしい女性並みの笑顔を強要されても困る、と揉めました。

 

そのへん難しかった。要は「手話習ってるなら聾者文化も身に付けろ」ってことで、それは聴覚言語の外国語学習において通常指導されることです。でも聴覚言語の学習においては、少なくとも現代では、異文化を理解することは求められても、それを強要はされない。

でもそこにわたしが口出しすると、やっぱりどうしても、「強者の文化から社会的弱者の文化へ」の口出しとみなされます。あっち(聾者)からもこっち(そうじゃない人々)からも。

 

 

「原罪」でわたしが驚いたのはここ。

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一般的には手話は「調べてみ」ないと「手話」という言語であることすら認知されないのかー! というところです。習ったことがなくても意味はわからなくても、それが手話であることくらいわかるだろうと思っていた。

薪さん、何も言ってなかったけど実はしれっと手話知ってた、とかだと個人的に萌える。

※ うちの二次ではできることになってます当然です。

 

 

なお一般の聴者で手話に興味を持った場合は、市町村単位で「手話奉仕員養成講座」というものを無料で開いているところがたくさんあります。平日昼間だったりするので社会人にはハードルが高いですが(←週1回5時間(なげーよ……)、半年間仕事を抜け出して習った管理人)。

 

わたしが習ったときには、持ち前の理屈っぽさが影響して、途中で壁にぶつかりました。言葉の壁というより、思考の壁というかスタイルの壁というか。

例えば、手話でやらされた例文で

「この店のカレーは5種類、1は甘い、2は辛い、3はもっと辛い……」

という表現があったのですが、私は

「??? 甘いカレー?」

と思ってしまうわけです。甘口カレーというのは頭ではわかっていても、「甘い」とはっきり言われると、「???」。なぜそう思うのかを自己分析してみると、手話の「甘い」には「砂糖」という意味もあって、それゆえにマジ甘いことを想像してしまう模様。

他の誰もそんなことを疑問に思わないようで、それもどういう受け入れ方をしているのか不思議で仕方ないし、聾者の講師には「なんでそんなこと疑問に思うの、日本語だって甘口カレーっていうでしょ」とか「甘口カレー食べたことある?」とか言われてしまう始末。いや食ったことないけどそれ以前に、甘口カレーは甘いカレーじゃないよ……。

 

他にも講師が「女がタバコを吸うのはよくない」とか「(女のくせに)料理しないなんて駄目じゃん」とか言うのを聞くと、いやいや手話だからって言っていいのかよ、とか思うんですが、これも他の受講生は平気だったらしい。

で、これまた自己分析してみると、聾者は社会的少数派で社会的弱者だから、つまり社会の変革を必要とする側なので、革新的である、という思い込みを私は持っていたようです。実際には、見た狭い範囲ですが、驚くほど保守的でした。講座中にお茶飲むのも駄目とか言われた。5時間だよ、飲ませてくれよー、駄目な理由がわからん。

わたしがコミュニティに属して手話を続けられなかった最大の理由は、そういう文化の違いでした。

 

 

東大には、盲聾者、つまり目も見えず耳も聞こえない教授がいます。びっくり。この方自身、東大で博士号をとっています(論文博士)。全盲になったのが9歳のときで耳が聞こえなくなったのは18歳のときだそうなので、自分で自分の声が聞こえなくても喋ることはできるそうです。

しかしすごくないですか東大もご本人も。全盲聾で大学に入ったのは日本初、大学の常勤教員になったのは世界初だそうですよ。

 

 

資料を探すためにさらっと「原罪」読んだら、やっぱりおもしろかった 。薪さんも青木もかっこよかったー。

薪さんと向こうを張ると大人気のタジクは、わたしも嫌いじゃないですが、評価はあんまり……(すみません)。人を殺したことではなく、サラやアルマに思いやりを示していながら一方で無関係な人を巻き込んだところがどうにも受け入れられない。いっそレクター博士みたいに倫理観ぶっちぎってたらもっと高く評価できるのに。

 

話の展開は不穏でやきもきしても、終わった連載ならわりと安心して読めますね。

「悪戯」はいつまであの調子なのかな。