雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

LGBT+の奇跡

連休の方もそうじゃなくて疲れてる方も、こんばんは。

わたしは後者ですが、仕事の内容は悪くないので文句は言いません。とはいえ寄る年波の疲労には勝てん。そしてだんだん寝なくても働けるようになってきたのは、タフになってきたんだと思ってたけど、これも老化、それともまほう……??

余談ですがツレは学会で福岡に行ってます。福岡……地名だけで反応してしまう秘密脳……勤務日でなければついてったのになー!(学会ではなく福岡に)

 

 

『秘密』仲間候補のヨーコちゃんから近況報告がありまして、彼女も疲れてました。

ヨーコちゃんは若い頃にわたしの細かい影響を受けすぎて、日経とナショジオ定期購読とか、Mac &iPadのヘビーユーザーなのに通信費をケチるとか、自分はストレートなのにLGBT+の啓発活動してるとか、見てると他人とは思えないことがよくあって、わたしの側からも日々気にしている存在です。

 

彼女は仕事の一環で、高校生のLGBT+の相談相手と教員への啓蒙活動を行っています。当然ですけど心の狭い教員がいて、まあめんどくさい思いをしているわけです。

ひとしきり彼女の愚痴を聞きながら、昔のことや最近のことをいろいろ話したのですが(薪さんのことには今回は触れませんでしたが)。

 

 

最近ここで話題にしがちなLGBT+ですが、わたしが最初に主体的に関心を抱いたのは、「ゲイ」と「性別違和」が違う、と知ったときでした。

※ 「トランスジェンダー」は厳密には性別適合(あるいは転換)手術を受けたあとの人をさす、という主張もあり、ここでは手術したかしないかに関係ない(これも厳密には手術後は違和はないんじゃないの、という主張は退けて)「性別違和」を用語として用います。

 

これはコロンブスの卵でした。言われてみれば当たり前のことなんだけど、気づかんかった。

 

 

わたしの衝撃がなんだったのかというとですね。具体例で説明します。

 

(1)

ここに、からだはいわゆる男性で心がいわゆる女性の、性別違和のAさんがいるとします。この人が男性を好きになるのは、心の性からしたらストレートですが、外見的にはゲイに見えるわけです。

Aさんがそのままの状態でゲイの男性Bと付き合えば、表面上は男性Aと男性Bのゲイカップルですが、内面的にはストレート女性A×ゲイ男性Bとなります。一見適合したカップルに見えても、双方心の中には本来そうでないはずの何かが残ってしまう?ことになりそう。

逆に体の方を手術すればAさんは外見上女性となり、ストレートの男性と付き合うことも可能ですが、これはこれで手術を告白するかどうかとか、そのことを人生設計にどう持ち込むかとか、当然残る問題はあるわけです。

 

(2)

一方で「こころの性とからだの性が違う」という根本的なことを冷静に考えると、Aさんと同じくからだが男性で心が女性の、つまり性別違和の、でもゲイ(レズビアン)のCさん、という存在が改めて想定されます。

Cさんは女性を好きになるので、自分がセックスで挿れるほう(すみません)になることさえ厭わなければ、外見男性のレズビアンC×ストレート女性Dの一見「男女の」カップル誕生が可能です。

この人がからだを手術した場合は、それを受け入れてくれるレズビアンの女性を探すことになるわけで、いずれにせよ間口はめっちゃ狭そうです。

 

 

妄想少女オタク系』でオタクの高校生が、萌えの要素がぴったり重なった友達に出会うなんて奇跡に等しいということを死にそうな顔しながら主張するんですが、もうそれに近い。

「運命の人」に出会うのは、からだの性別とかこころの性別とか恋人か友人かとか本来は関係なく奇跡であることは間違いないんですが、でもLGBT+の場合は、その入り口がすでにめっちゃ狭いんですね。

そしてその狭さは、人生の豊かさや平穏や、アイデンティティや尊厳に関わる、そういうタイプの「人との出会い」の狭さ、わけです。

 

これですら具体例のほんの一部にすぎないのですが。

でもそんな人々の存在の可能性に気づいて、がーんとなった若き日のワタシ。

世間に生きづらさを感じる身としては、そしてその生きづらさの根幹を「わたしはフツウだ世間のほうがおかしい」と断言してはばからない身としては、LGBT+(を含む社会的少数者)の社会におけるあり方を、端からとはいえ考えずにはいられません。

 

というのが、衝撃と関心の始まりでした。

 

 

ヨーコちゃんはまだそれを自分の内部で咀嚼して頑張るのに必死で、自分自身が心の平穏にたどり着いていないので、生きてるだけで疲れてます。

見守り励ましていこう、と改めて思ったのでした。

 

 

どうぶつにもいるらしいですよ。同性愛とかいろいろ。どうぶつの心理がわかるわけではないので、行為をさしてそう呼んでいるにすぎませんけれど。

 

うちにはオカマの猫がいます。 語彙的に問題があるとしても、彼を形容するにはこれ以上ふさわしい言葉が見当たらないので、あえてこう言っておきますすみません そして彼?は青木ワンコ(仮、メス)をたいへんあいしています。

わたしが言うのもなんですが、いろんな意味で種を超えた愛です。

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↑ このあと、青木ワンコ(仮)が猫にうしろからのっかる。のがいつものパターン。

それもうつくしい愛の光景です。