雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

「放熱(承前)」

こんばんは。

今日は顧客との懇談会があって隣県に出張でした。

懇談会場から見えた、駅に入る新幹線はやぶさ。珍しくもない光景ですが。

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だいぶ前の「疲れ切って甘える青木」の続きです。

「風呂に入る青木を見守るやさしい薪さん」を追記しました。また風呂かい、と思われるでしょうけれど。拙稿「メテオライト」を少しだけ下敷きにしてます。うち史上最高に中身のない会話をしてますが、疲れてるってことで許してやってください。青木を。

 

書いたあとで一部、他の方が書いた似たような話を発見してしまったのですが、恥知らずにもあげてしまいます。Hさんはこちらを見てないと思いますが、見てませんように……。

 

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放熱(承前)

 

 青木のこわばった筋肉の中心に、肩甲骨の双丘が硬くそびえている。湯船の縁から両腕と肩を外に出して脱力している背中を、古い映画のように海綿のスポンジでやさしくなでてやる。薪はバスタブの外でパジャマの上を着たまま袖を高くまくりあげ、バスチェアに座って、ぬるい湯に入れたのと反対の手で青木の黒く強い髪をかきあげた。その口元がゆるむのを目ざとく見つける。青木は軽く咳き込んだが、薪はさすがに騙されなかった。

 「いま、思い出し笑いをごまかしただろ」 

 「思い出し笑いじゃないです。しいていえば想像笑いというか」

 「笑いの新しい種類まで開発したのか」

 「あなたがよく風呂で寝落ちするときって、こういう気持ちよさなのかなあって」

 「こういうって、どんな」

 「疲れて、だるくて。なのにそれが浮力でふわふわして、ちょっと脳の血流がたりないみたいに少しだけぼんやりして」

 動きたくなくて、もっとずっと抱かれたままでいたくて。でも、直前の記憶がはっきりしなくて、腰の中心に力が入らない。おまえいつでも元気だからそんな感覚までわからないだろ、と青木の妄想の続きを請け負うと、かすかに責める目が濡れたまつげの向こうから薪を見た。

 「あなたこそなにを思い出して笑ってるんですか」

 薪は答えない。

 「俺を抱いてくださるんですよね」

 「もう抱いた」

 この巨体を洗い場に座らせ顔を石鹸まみれにして、あやつり人形を従わせるように背後に立って手を回し、髭を剃ってやった。浴室にはだいぶ以前に青木が持ち込んだまま、少なくとも薪の知る範囲では使われたことのなかった、古典的なT字剃刀があった。それを肌にあてて泡と一緒に下から滑らせながら、ずっと聞こうと思ってたんだけど、とそのとき薪は疑問を口にした。

 「これで何するつもりだったんだ」

 「いまとなっては言えません」

 ろくでもないことを考えてたんだな、とあごにかけた指に力を入れて顔だけ上を向かせ、見下ろしてさかさまに対峙して見つめた。薪の手でなでられた肌の表面からはいくばくかの疲れも一緒に取り払われたらしく、力強さを取り戻した青木の瞳は美しかった。濡れちゃいます、と青木が薪の寝間着を脱がそうとしたとき、濡れるようなことをおまえがしなければ大丈夫だ、と強引に湯船に沈めたのだった。

 「そんなオチだろうとは思いました」

 「じゃあなにをしてほしいんだ。試しに聞くけど」

 「今夜はその、いつもとは逆に」

 ほんの少しためらいながら言ったのは、「おれが眠るのを、見ててもらえませんか」

 「風呂の次は寝姿か」

 「5分でいいんです」

 二徹明けの、3週間休みなしのからだを引きずって、900キロ離れたところから、恋人に眠る姿を見せに来たのか。そんな贅沢な安寧ってあるだろうか。

 「心配しなくても、おまえが寝たら僕も寝る」

 「2分でもいいんです……」

 「わかったから。髪も洗ってやる」

 「……いくらなんでもそこまでしていただくわけには」

 「僕がしたいんだ」

 そう言って青木の頬を両手で挟み込み、上を向かせて鼻の頭に触れるだけのキスをする。「今日は甘やかしてやる」

 剃刀レベルの不埒な要求をされたら、何しにうちに来たんだ、と意地の悪いことを言うつもりだった。薪はそれを少し反省した。

 いつもとは逆に、って口を滑らせたな、こいつ。その「いつも」を僕が知ってるとは、まさか思ってないだろうけれど。カラダが目当てみたいな発想をしていたのは、自分のほうだったらしい。

 「いいんですか」

 「どうだろうな」

 「明日、帰れなくなりそうです」

 「それはダメだろ」

 「泣きそうです」

 「それはかまわない」

 まぶたのふちからこぼれそうになった、汗の雫を舐めてやった。「明日はなぐさめてやる」

 この湯船でいつも青木に抱かれて休むときの、温かいきらめく漂流する気分を思い出す。本当に欲しかったのはこの瞬間じゃないか、と思わされる、幸福を切り取って持ち出した時間を、あの満たされた時間を、疲れた恋人に今日は自分が与えたい。

 「いいんですか」

 「どうだろうな」

 「勘違いしますよ、俺」

 「勘違いって、どんな」

 「とても言えません」

 「いいんじゃないか。勘違いじゃないかもしれない」

 本当はもう少し、教えてやりたいことがある。でもそっちはまだおあずけだ。青木が本当に帰れなくなる。

 浴室の蒸気が輝いて見えた。隕石のかけらが宙を舞っているみたいだと思った。この空間の美しさを青木に知らせたい。僕が経験したことのある、あの浮遊感、あの安堵感、あの幸福感をこの男に与えたい。

 「泣くなよ」

 「泣いてません。涙の新しい種類を開発したんです」

 洗ってやると言った黒髪を梳き、生え際にそっとキスをする。こんなに苦しい気持ちが湧き上がってきているなんて、こいつにはとても言えない。この輝く甘い時間を味わって、もう少しだけここにじっとしていよう。

 

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