雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

「ある猫たちのはなし」2

アマゾンで以前さんまんごせんえんだった早坂類の歌集が719円で出ていたので、もちろん注文しました。おねだん50分の1。すごい。

今年1762円で買った井辻朱美の歌集は、現在アマゾン価格なんとごまんえんです。わたしの知ってる中古の歌集の価格最高値を更新しています。

 

昨日、先日注文した加藤治郎の歌集が届きました。

曽我猫に夢の中でしあわせになってもらいたくて、曽我(猫)がもらわれていかず曽我(にんげん、二次)宅に居残る、という妄想をしています。今日のやつはそれと、新しく気に入った短歌とが、脳内で混ざってできたおはなし。

わたし実は、曽我(にんげん)タイプ、好きなんです。現実世界でも。あのドラえもんみたいな見た目の感じ。室長さんズの中ではMIT卒の宇野さんの次に気になる。ただし育秀くんは文系なのでその点において論外ですが。

 

「ある猫たちのはなし」の後日談です。ほのぼの猫ものがたりです。

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すごく大雑把に書いたものなので、軽く読んでいただけると幸いです。

よい週末をお過ごしください。

 

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ある猫たちのはなし2

 

 

 曽我の新居は中国管区の「第九」からとても近い。歩いて15分かからないペット可のマンションに引っ越したのはもちろん、猫の曽我のためだった。

 貰い手がつかないんです、と本人は言い訳したが、ボランティアで来ていた広島大学の医学部の院生が、実は里親候補をことごとく退けていた。ほかの5匹の新しい家族は厳しい審査を通り抜けて無事仔猫と暮らし始めたのに、曽我は小さかったから大事にしないとダメだってはこべちゃんが言うんです、と人間の曽我が説明する。

 「はこべちゃん?」

 「ボランティアです。なんか曽我に固執してて」

 「そのはこべちゃんが飼いたかったんじゃないのか」

 「それが自分ちはダメだっていうんですよ。人間の曽我さんが責任とってひとりくらい引き取ってください、って曽我を推してきたんです」

 このあたりになってくるとさすがに薪は、猫に「曽我」という名前をつけさせたことを後悔し始めた。ややこしいことこのうえない。羽多野の言うとおり岡部にすればよかった。

 「おまえ曽我をいつまで曽我呼ばわりするんだ」

 「薪さんがそうしろっておっしゃったんですよ」

 「まさか曽我が曽我を引き取ってずっと曽我って呼び続けるとは予測できないだろ」

 「はこべちゃんが曽我さんはずっと曽我さんにしといてくださいって言うんです。猫のほうですよ」

 「ふーん」

 薪の声が変わった。「よし。曽我猫、見せろ」

 「――はい?」

 「おまえこのまま早退しろ。どうせ定時まであと小一時間だろ。特上のうなぎか何かの出前をとってやる」

 「視察はどうするんです」

 「あんなもの、一緒に来た技官とSEで足りる」

 大阪―広島―福岡の「第九」を二日で回って新しい機材とプログラムのチェックをするのにわざわざ所長が出てきたのは、岡部がくれたちょっとした休暇みたいなものだった。明日は金曜日、出張のあとはそのまま週末を青木と過ごせる。本当はいますぐ福岡まで移動してしまってもいいのだが、それでは第八の室長に明日ズル休みをさせてしまうことになるし、それにあの3月の雨の日以来、自分の前に立ってもおどおどしなくなった広島の部下を、少しばかりいじめてやりたい気分でもあった。

 「薪さんの命令とあればいたしかたありませんが」

 「僕個人じゃない。所長の命令だ」

 「なんでそんなに楽しそうなんですか……」

 不審顔で上司を見たその目が、思惑を見抜くほど鋭くなかったのは自分にとって幸いだったと、薪が知るのはほんの数十分後のこととなる。

 

 

 「はこべちゃんが来てますね」

 玄関にヒールのついた赤い靴があった。

 「――なんだって?」

 「乳飲み児のときから手伝ってもらってたから、合鍵渡してあるんです。曽我がいま、風邪ひいてるんですよ。ゆうべはごはんも食べなくて、あ、エアコンが猫設定だから暑いですよ、うち」

 話し声を聞いたらしく、奥から女性が出てきた。

 「おかえりなさい、どうしたんですかこんなに早い時間に――あれ」

 「曽我、具合悪いの?」

 曽我が聞く。

 「お友達ですか」

 彼女の不審がる視線が強く注がれたので、できるだけ声を低くして自己紹介した。

 「科警研の薪剛です」

 「あ。所長さんですか。いろいろうかがってます」

 「僕の話を?」

 「猫に曽我ってつけろっておっしゃった上司の話を」

 「薪さん、こちらがボランティアでお世話になってる、」

 「小泉はこべです。おあがりください」

 彼女の名字がミナミとかナナセとかだったら曽我猫の名前を変えさせよう、スズキじゃダメだけどな、と思っていた薪は、コイズミと呼ばれる黒っぽいトラ模様を想像してみた。ふたりは既に客の存在を半ば無視して、猫の姿を探している。

 博士課程でも学生だというから少し若さを心配していたが、リビングのテーブルには専門書とMacBookも広がっていて、学問からボランティアに逃避しているわけではないことがわかる。身長は人間の曽我と同じくらい、ヒールを履けば彼女のほうが高いだろう。体つきが華奢なので、がっしり体型の曽我と並ぶとなおさらすらりと見える。不思議なことにこれはこれでバランスがいい。あまり長くない黒髪を高い位置でポニーテールにまとめており、前髪はまっすぐ切りそろえられている。オレンジ色のタンクトップにジーンズというラフな格好で、玄関に白いシャツを羽織りながら出てきた。目元にほんの少し光を載せただけの簡単なメイクも、細い手首を飾る実用性重視の重そうな腕時計も、薪の目には好ましかった。

 リビングは家主が言うほど暑くはなかったが、床がぬるくて驚いた。曽我猫のために床暖房とこたつがついてるんで、と人間が説明する。この献身は乳飲み子を手ずから育てた成果なんだろうか、と他にもタワーとかトイレとかすっかり動物仕様の室内を観察していると、なにかカラカラと転がる音がして、4か月に育ったキジトラの仔猫が猛ダッシュしてきた。

 「痛い!」

 毛皮が突進してきたのは正確には薪の足ではなく、薪が叫んだのもかじられたからではなく、硬い小さいものを踏んだからだ。「ちゃんと育ったなあ、おまえ」

 赤ちゃんのときの状態がよくないとなかなか猫にならないことがあるんですよ、と青木が言っていた。ムシか宇宙人か、という痩せ方をしていることもままあるという乳飲み児だが、このきょうだいは六つ子でからだこそ小さかったが、体調はそれほどひどくなかったはずだ。いま見ても、立派に甘やかされて月齢なりに大きくなっている。じゃれつく姿を好きにさせて、足の裏が捉えた異物を拾い上げた。

 「あ?」

 「あれ、出てきた」

 硬い、小さな丸いもの。とまどう薪の指から、人間のほうの曽我があっという間にそれを取り上げる。

 「一度青木が来たんですよ。様子を見に、休みの日に。おもちゃないかなあって言って、ポケットに入ってたボタンを転がして遊んでて、なくなったって騒いでたんですが。なんかオーダーメイドの大事なものらしいんで、返してやらないと」

 ――あのバカ。

 「M? かな? このデザイン」

 小泉はこべが覗き込む。こういうとき、観察力のある手合いは困る。

 「姪っ子が舞って名前だから」

 そうそう。

 「何歳ですか」

 「小学校の、何年生だったかなあ」

 「女子児童の服に使うものじゃないですよ、これ」

 余計なことに気づくな。

 「おとなの男性の上着じゃないかな」

 想像するな。

 「曽我、曽我が風邪ひいてるって言わなかったか」

 「あ、そうだった。はこべちゃん、曽我、どうだった」

 「ごはん食べて、元気に遊んでました。昨日の注射が効いたみたい」

 言いながら猫のおもちゃだった物体をまだしげしげと見つめる女性に、薪は手を出した。

 「明日、視察の続きで福岡なんです。僕から渡しておきますよ」

 「ああ、そうでしたね。お願いします。またおもちゃにされてなくすといけないから」

 ふたりの会話を聞いて、はこべはボタンを素直に訪問者に渡した。

 「なくさないように気をつけてください。所長さん――薪さんも」

 「大丈夫です。青木みたいに抜けてないんで」

 少なくとも、脱がすときに急ぎすぎてボタンを飛ばすというバカはしない。はずれてどこへいったかと思っていたが、まさか偶然あいつのポケットに入り込んでいたなんて。

 「僕はそろそろ」

 「え、少し一緒に遊んでやってくださいよ」

 「曽我の面倒を見るのは僕じゃなくてもいいだろ」

 まだ足元でひっくり返ってゴロゴロいっている仔猫を抱き上げ、女性のほうに向き直る。「トロくて鈍いようですね。ちゃんと見てやってください」

 「任せてください。わたしはもう少し観察力ありますから」

 「薪さん。あの、うなぎは」

 こいつにとって重要なのはそこか。

 「そろそろ届くだろ。はこべさんと二人で食べろ」

 「いいんですか」

 いいもなにも、爆弾を抱えてこれ以上この眼力にさらされるのはごめんだ。

 「お邪魔しました」

 「いいえ。手間が省けてよかったです、薪所長さん」

 表面上は何事もなかったあいさつを交わす上司とボランティアを見ながら、トロくて鈍い室長が猫を受け取る。

 「ご足労いただいたのに、おかまいもしないで」

 「いや。おもしろかった」

 「そうですか?」

 「名前は変えろ」

 「何にですか」

 「「はこべ」。おまえも少しややこしいことに気づくといい」

 何十回も見合いに失敗して、結局はよかったじゃないか、とオヤジくさいセリフはぐっと飲み込む。下手にけしかけて、この賢そうな女性から逆襲を喰らうのは避けたかった。

 「僕の役割ってもしかして」

 「なんですか」

 「なんでもない」

 危ない。曽我の前だとどうしてもこいつをからかいたくなって、ここでは墓穴になる。

 「ちゃんと世話しろよ」

 「「してますよ」」

 ふたりから同じ言葉が同時に返って来て、やっぱりあの仔猫たちは御守り代わりに各管区に一匹ずつ配るべきだった、と薪は思った。

 

 

  とりとめのない夏の日のまひるまに取れたボタンと似たのがあった  加藤治郎

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