先日ついったでゆりさんが、「絵描きさんがよく言われる手癖みたいなもの文字書く人も感じたりする…?」っていう問いかけをなさっていました。
いま鍵かかってるので元は直接引用しませんが、いいよね間接引用は、鍵かかるようなえっちな(←失礼にもほどがある)話題じゃないし??
自分(=オリエ)はバリバリあるしどんだけ直しても撲滅できない、という話はそのときしたのでよしとして。
プロの作家にもそういうのあると思って、思い出したこと。
以前、早坂類の歌集がめっちゃ高い、ということをここで呟いたことがあります。
この人の短歌を読んだときに、この微妙に中○病っぽいめんどくさい感じの妙な暗さ、青木景子みたいだなと思ったんですよね。
青木景子というのは、90年代前半、サンリオのイラスト付き詩集が全盛期(当社環境)だった時代に、『詩とメルヘン』あたりでわりと人気があった詩人です。半端に好きでした。彼女の詩集は実は全部持ってましたが、こじれた感情があらわになって正面からこっちに向かってくるのがちょっと苦手で。
早坂類の短歌にも、そういうところあるなあ、と思ってたんです。
そしたらねえ。
このふたり、同一人物だったんですよ。詩人・青木景子が短歌や小説を書くようになって、早坂類とペンネームを変えたんです。まあびっくりしました。
この人ネット上に情報が少なくて欲しい短歌がどの歌集にあるのかわからず、本人のHPを調べていたら、この衝撃の事実が判明しました。
↓ 青木景子詩集
サンリオのこのシリーズ、当時のオタクはけっこう読んでた(と思う、とらちゃんのお母さんは多少読んでたはず)
早坂類、書くものにヘンな既視感があるなあと思ってたら。基本、爽やかなフリしてどっかビミョーに気持ち悪いんです。こんな再会の仕方ってあるんだな。
さらによそで読者のレビューとか見てたら、穂村弘(=マニアックな人気を誇る前衛的な歌人)や加藤治郎(=穂村弘と同年代の、穂村弘よりも小難しいことを詠う歌人)がよくこの早坂類に言及する、と複数の人が書いていました。歌集はふたりとも全部持ってるけど知らんかった。
なんかクオリアが似てますこの界隈の歌詠みさんたち。「結局あんたこういうの好きなんでしょ」と他人に言われたようで、自分の心の闇を見た気がしました。
わたしの心臓を掴んで離さない早坂類の短歌一首:
僕たちは百年おきの道ばたで片輪のように出会おうよ猫
こういう歌に出会うと、ことばを持つにんげんに生まれてよかった、と思ってしまうのです。
今日のおはなしに出てくる「タッチ」っていうのは、そういうのです。自分が書くものに感じる、直したい癖とかじゃなくて、ほんとに雰囲気っていうか、「ぽさ」についてのおはなし。
谷川さんのこの詩を読んで夢想しました。ゆりさんのツイートを見て、そうだそんな話書いてた、というのを思い出したので。
あなたのことを絶えず考えているのに あなたの顔がどうしても思い出せない 気がついてみるとふと耳にした音楽の一節を くり返しくり返し口ずさんでいるのだ /谷川俊太郎「恋の始まり」
— ひとひら言葉帳 (@kotobamemo_bot) 2020年6月18日
ちょっと長めですが趣味に走り過ぎたのでこちらにあげます。コーヒー・ルンバも少し参照してます。
薪さんについてはもう勝手な設定いっぱいくっつけてまして、フォトグラフィックメモリーもあると思うの絶対。そうでなくてあんなに天才だったら、ズルい。
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恋の途中
コーヒーやお茶の類は、まだ薪の方が淹れるのがうまかった。それで夕食後のリラックスタイムを整えるのをまかせて、青木は飛んで来た機内で読みかけだった文庫本の続きに取り掛かっていた。
「なにが」
そこへバリスタがステンレスのポットとカップを運んできて、ソファの隣の定位置に座った。
「え」
「そんなことない、って」
「俺、声に出してましたか」
「うん。だからなに」
無意識に言葉を発してしまったのを聞かれたらしい。
「納得いかないというか、理解しがたいことが書いてあって」
「読みあげてみろ」
「『あなたのことを絶えず考えているのに あなたの顔がどうしても思い出せない』」
薪はコロンビアをマグに注ぎ分けながらその綴られた意味を咀嚼していたが、青木の音読がそこで止まるとすぐに反応した。
「谷川っぽい」
引っかかったのはそこか、と思ったものの、学生時代から憧れ続けた「第九」捜査員のこういう観察力と洞察力は、ときに事件で発揮される以上に青木を驚かす。
「当たりです。ご存知の作品でしたか」
「いや」
「谷川俊太郎、お好きなんですか」
「何個か。好きな詩人、ってほどじゃない」
「なんでわかったんですか」
「なんで、って」
問われた側にとってはその質問のほうが意外だったようだ。「マネを見たらマネ、ポロックを見たらポロックだってわかるだろうが」
「誰だってわかりますよ」
「そうだな。ええと、ターナーを見てもターナーだって思うよな」
「あのいつも嵐が来そうな空の画家ですよね。思うかもしれませんが、ターナーの絵なんてそもそもそんなに知りません」
「だから、知らないのにピンとくるのが、タッチってやつだろう」
「……なるほど」
「文章にもそれがある。フォーサイスはフォーサイスっぽいし、クリスティはクリスティっぽい。ハリスもM・C・スミスもすぐわかる」
「スミスはなに書いた人ですか」
「そのうち紹介してやる。詩歌なんてなおさらわかりやすい。井辻朱美も穂村弘も簡単に見分けられる」
「そうおっしゃるのに、書庫には詩集も歌集もずいぶんお持ちですよね」
「自分の内部に生じないものだし、わかりやすいっていうのは文学の価値を低めてるわけじゃない。続きを読んでみろ」
青木は音楽や情熱や彫像という語彙の並ぶ長くない詩を最後まで音にして読んだ。作中の煙草の煙がゆっくり立ち昇るのが、手元の熱い湯気に重なって見えた。
「ほらな。谷川っぽい」
「言われてみればほんとですね」
「いつも少しせつなくてさびしい。白昼夢みたいなのに現実的で。タイトルは」
「「恋の始まり」です」
「なんでそんなもの読んでるんだ」
「舞が最近図書館からやたらと詩集を借りてくるので、あの子の性癖を少しくらい理解してみようと思って」
「ふうん」
「あの。そういうことなんでしょうか」
「僕にわかるわけない」
「初期のあの落ち着かない気持ちを、あんな小さな子が?」
「子供を侮ってると、あっという間に成長するぞ」
つまりこの人がわからないと言ったのは舞の心情であって、始まりの不安定さじゃないんだな、と青木の心のほうが揺らいだ。おまけにガラステーブルの上にあるのは、おあつらえむきに恋を喚起する飲みものだ。
「あなたはどうですか」
「なにが」
「絶えず考えているのに顔が思い出せないとか、ありますか」
ティーンエイジャーの動向をダシにされて、薪はめんどくさそうに顔をしかめた。
「ない。鈴木はいつでも思い出せる」
「ええー……」
「背景と音声付きの動画で」
「MRIより優秀ですね」
「僕の映像記憶を甘く見るな」
「そりゃそうですよね。すみません」
「おまえの顔だって、もうわかる」
「――」
「鼻があって口があって、目が2個あって、何もかもデカくて骨が固くて、」
「薪さん」
青木は重い陶器を置くと、わざとそっぽを向いて顔面のパーツや、それと無関係な要素まで羅列する恋人の手をとり、触れることで黙らせた。
あなたのタッチはそういうところで、口を滑らせてそれに気づかれたくないときには、早口に余計なことを喋り出す。それでごまかせると本気で思われてるとしたら、俺もいまだに相当バカだってことになるけど。こういうクセって、自分じゃ気づかないのかな、どこまでがこの人の「わざと」なんだろう。
「「もう」?」
「顔を近づけるな、鬱陶しい」
「あなたを覚えたいんです」
「「そんなことない」んだろ」
「でも俺、目が2個あっても、悪いから」
「……から?」
「至近距離で記憶に焼き付けないと、いつまでも恋の始まりのまま、そのうち思い出せなくなるかも」
否定して対抗した詩人の物言いに乗ってみる。南の国の情熱のアロマというやつが、ふたりのあいだの空間に漂った。恋を「忘れた」どころか溺れている真っ最中の男は、小柄なからだを抱き寄せてその双眸を覗き込み、小道具を放り出して、今夜のときめきに取り掛かることにした。
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