昨日突然「明日行くから」と母から連絡が来て、甥っ子姪っ子合わせて総勢5にんのにんげんが遊びに来ています。2泊で。
実家を継いだ弟夫婦の子供たちは一番上が11歳、一番下が4歳の4人姉弟なのですが、上の二人を見て「光ってこれくらいか」とか下から2人目を見て「舞ってこれくらいか」とか、思ってみても、現実のにんげんのほうが幼いですねやっぱり。
この子供たちは年に1回帰省するかしないかのわたしのことが好きでしかたなくて(理由は不明)、大変ありがたいんですが、まあ仕事にはならんです。連休で追い込みをかける予定だったのに……夜早く寝る人たちで、寝てから はかどったのでよしとする。
夕方1時間半も散歩したときの、田舎の原風景のよーな図。
農家の子供たちなので、田んぼは公道扱いで入っていい場所だと勘違いしています。
一緒に寝てくれるので一番人気の猫と。
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そうはいっても仕事ばかりしてるわけでは当然ないです。
ふと気付いたら、弊社の曽我さんを悩ませたまま、半年も放置してました。曽我さんごめん。
「6」で悩んで、「7」で進展があったはずなんですけど、今日はそこを飛ばして「8」です。なぜかというと、先日フェルメールとスーラについて個別に人と話をして、エスカルゴを食べて、なんかいろいろ使いたくなって、勢いでつい書いたからです。
最初は青薪で考えてたんですが、薪さんが画家の名前を忘れるとかありえないなという結論に至って、曽我さんとなりました。
あ、あと、おはなしの中に出てくる「薪さんが相談した猫の保護」っていうのは、「名前のない猫」のことです。スマホを出して録画したのは実は、保護依頼を出すためだったんですね。この話も書こうと思ったんですが、中身がすっかり保護活動譚になってしまったのでやめました。
毎度お断りしますがオリキャラがいますのでご注意ください。
ここまでの曽我猫の経緯は「もくじ2」から辿ってください。
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ある猫たちのはなし8
小泉はこべは肉食だった。しかも多義的にそうだった。外食で選ぶメニューは肉が中心だし、体のサイズのわりには同席の者を驚かす程度に大食いだ。そして親しさの度合いがあるラインに近づくと、それとわかるほどに性格も肉食だった。
その日早い時間に待ち合わせで入った席数のさほど多くない気軽なビストロで、曽我は乾杯がわりに生ビールのグラスをあげた。時間通りにやってきて向かいに座った女性も、お疲れさまでした、と答えて唇を泡で濡らした。それからしばらくメニューを眺め続けて、フロアの店員を呼んだ。
「トリッパとエスカルゴと鳩をください。サラダはセザールを。あとブルゴーニュの赤をグラスで」
外食するときに食べたいものがはっきりしているのははこべのほうなので、曽我はたいてい選定を丸投げしていた。雪子と付き合っていた青木ならともかく、こんなに食べる女性を見たことがなかったのもあって、その遠慮のなさを好ましく思っていた。
「出張だったんですか」
しばらく曽我猫の近況を堪能したあと、アミューズのカルパッチョが出たタイミングで、はこべが聞いた。順天堂の新人助教は研究に医療行為に忙しく、明日東京に行くけど会えるかな、という猫の飼い主のメッセージに、「はい」という一言以外の返信をくれていなかった。その明快さも惹かれるところで、中年に差し掛かった男としてはさすがに、これは先に惚れてるからこそそう思うんだろう、という程度の分析はできていた。
「今日は、そう。明日は休みだから、帰る前に国立西洋美術館に寄ろうと思って」
「土曜日、混みますよ。わたしそういうの疎いんですけど、何か来てます?」
「名前、ど忘れした。点数の少ない画家」
「……スーラ?」
「――え。と。点々じゃなくて、作品の点数が」
「あ。Vermeerでしょ」
「そうそうそう」
「日本語でなんでしたっけ」
「フェルメール」
「そうフェルメール」
「それにスーラは、点々、少ないんじゃなくて多い」
「まあそうかな」
「っていうか、なんで英語なの」
「英語で覚えた画家だし、日本ではオランダ語から来てるから、つながらなくて脳内で変換できないことがあるんですよ。育秀さんこそ、よくわかりましたね」
「俺のこと、バカだと思ってんじゃない?」
「英語が苦手だって言ってたから」
「言語としての英語が苦手でも、常識としての絵画の巨匠くらい、知ってる」
「思ってませんよ」
「ん?」
「バカだと思ってたらここに座ってません」
そこへシーザーサラダが届けられて、曽我は取り分けた緑の野菜を医師の前に出してやった。
「好きなんですか」
「……誰を」
「フェルメール」
「あ。はこべちゃんは、どう」
「あんまり」
「嘘」
「え?」
「モネとかフェルメールとか、日本人なら誰でも好きじゃん」
「わたし、そんなに典型的な日本人ですかね」
「いや……」
「たいてい知りもしないで、雰囲気が好きなだけだと思います。有名だからとりあえず見ておくか、とか。個人的に題材がちょっと」
「変なテーマなの?」
「知りたいんですか。好きなんですか」
「フェルメール?」
「わたしを」
「……うん」
「誘いたかったんでしょう。美術館に」
「うん」
「それでわざわざ、わたしの休みに合わせて、出張をぶつけたんでしょ」
「うん」
「じゃあ行きます」
「好きじゃないのに?」
「たとえ嫌いだったとしても、フェルメールがそこに来ててデートに誘われてるのに、見に行かない手はないです」
はこべは大口を開けてサラダをそこに入れた。豪快に咀嚼するさまはエネルギーに溢れていて、この人は食べたものが全部熱になって放出されるんじゃないか、と曽我はほとんど見惚れていた。
「モネでもスーラでも、本物が来てて機会があるなら、見に行くべきです。それは幸運なんですから」
「そうだね」
好きな人と一緒に見に行けるのも。
青木とか今井さんならちゃんと口にするんだろうな、と思ったものの、自分で言えるほどまだ恋愛に自信はなかった。
「酔っ払う前にご報告ですが」
「なに」
「先日、所長さんにお会いしました」
「薪さん?」
「はい。猫の保護を相談されて、科警研の中庭で」
「中に入ったの」
「はい。ゲートで持ち物チェックとかされましたよ。禁断の場所みたいでドキドキしますね」
「はは」
「青木さんがいらっしゃいました」
「――薪さんと一緒に?」
「はい」
「あいつも出張だったのかな」
「どうでしょうね」
わざわざ付け足しておきながら、はこべはそこにはあまり関心がないようだった。「所長さんから預かった猫、人懐こいおとなで、里親見つかりそうです。まだうちにいますけど。くれぐれもちゃんと面倒をみてやってくださいって、念を押されました」
「ふうん」
「それで、聞いておきたいんですが」
「なに」
「今夜の宿は」
「すごそこの、グリーンホテル後楽園」
「本気ですか」
「ダブルなんだけど」
「うちに猫がいるって言ったの、聞いてました?」
「ダメかな」
「おとなですからね」
「俺が?」
「猫ですよ」
薪さんが猫を気にする理由はわからないけれど、と曽我は思う。
青木こそ、会ったならなにかもっと実際的なアドバイスをしてくれてればよかったんだ。広島の猫飼いをからかうなとか、警察官のおじさんをからかうなとか、日程を調整して会いに来た男をからかうなとか。
エスカルゴが来て、はこべはビールからワインに移った。
「朝イチでいったん帰ります」
「うん」
「次はちゃんと予告してください。友人に頼みますから」
「猫を?」
「猫を」
やっと会話が噛み合った気がして、曽我はほっとした。
「俺もワイン飲んでいいかな」
「1杯だけにしといてください」
「そんなに弱くないよ」
「1杯だけにしといてください」
「……うん」
とにかく、ふたりとも仕事を終えた週末で、初秋の空気も冴えている。あっちの猫もこっちの猫も元気だし、薪さんも、それになぜか青木も健勝らしいし、世界は平和で美しい。さほど好きじゃなくてもフェルメールは見られるし、ブルギニヨンバターのエスカルゴも新人研究者を喜ばせている。
恋すりゃ猫も詩人だ、と言ったのは誰だったか。いやあれは犬だったかな。
「育秀さん。顔が崩れてますよ」
「あ。ごめん」
「いい顔です」
曽我の赤が来たので、ふたりはグラスを合わせて、おとなの時間を楽しむことに専念し始めた。
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