雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

「確定診断」

 

こんばんは。在宅勤務がGW明けまで延長されました。

職場で「緊急事態宣言の出てる地域に出張してはいけない」旨の文書が回った翌日に、全国に宣言が出ました。見通しの甘さが露呈した感じで、トップに苦情というか文句が殺到しています。

 

あと「本格的にリモートワークの導入を検討するように」というお達しが来たのですが、ゆーちゅーぶを見もしないわたしに動くパワポとか作れって? マイクロソフト嫌いなんですけど。 ←嫌いじゃなくてもそもそも動画が嫌いでしょ

いや〜わたしってほんとの意味でアナログにんげんなんだ!!っていうのを、しみじみと思い知るここ数年、ここひと月です。まず電子書籍が無理。紙の本に書き込んだり角折ったり付箋貼ったりするから。あとドラマや映画は流しっぱなしだけど動画は見ない、クリックもしない。今までやったことのあるコンピュータゲーム(死語)は、なめことかえるとねこあつめとピーターラビットと、って全部放置系で、あとは『秘密』の神経衰弱くらい。パソコンもiPadも5個も10個も持ってても、メモと思考のためのツールでしかないもんなあ。

 

これで定年までのあと20年を生き残れるのか、とたまに心配になりますが、たぶん大丈夫だな。20年前を振り返ってみても、Wi-Fiが飛んでスマホがデフォになったくらいで、あまり変わったようには思えません。どうしても、というときには、若者を雇ってやらせます。

 

 

山本猫は、ちょっとおなかを壊してるそうです。写真に高確率で里親さんの指の影が入ります。

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今井猫は春の気配を楽しんでいます。

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えーと、薪さんが病気に「ならなかった」妄想のその後のはなしです。当社比長めです。診断待ちだったときに気を紛らわすために考えてたんですが、書いた人とは無関係です。ちょっと迷いましたけれど、わたしの考える青薪の基本姿勢でもあるので、出しておきます。しんみりしてますので、能天気なバカップルをお求めの方には向きません。

 

薪さんの世界にコロナがなくてよかったよ……でないと病気でも病気でなくても、青木に会えなかったよ!(うう、かわいそう)青木は泣くだろうな、と思ったんですが、あいつぎりぎりのところで強いから、薪さんを思っていろんなものを必死に閉じ込めて平静を装いそうでもあり、勝手にそんなことを想像して妄想の青木を「エライ!」と褒めてました。むしろガングリオンだから放置しといていい心配ない、とか言われたあとのほうが安心のあまり泣きそう。

 

 

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確定診断

 

 

 ただの脂肪腫で経過観察との確定診断が出てから青木が来るのはその日が最初で、この恋人の愛撫が薪のからだにしこりを発見して3週間が経過していた。そのあいだずっと会うことを拒否していた。お互いにできることはなにもないし、顔を合わせれば辛気臭くなるのは目に見えていた。

 「シュレーディンガーの猫みたいだ」

 一度薪がぼそりと言ったのは、生検の結果が出るまでは陽性と陰性の両方の状態が同時に存在しているのも同じだ、というしごく医学的な意味だった。だが青木はそれを、薪自身が生きているのと死んでいるのとふたつの状態の重ね合わせだ、と受け止めたようで、これは下手なことは言わないほうがいい、と決断するのにじゅうぶんなほどに取り乱させてしまった。

 以来話すのもごまかすのも嫌で、なぐさめるために何度か根拠のある希望的観測を述べてからは、電話すらあまりしなかった。京都大学の大学院にいた頃、生命科学研究科には医学部出身の院生もいて、生きている人間の内部で起こることは脳科学の隣接分野だった。知識が皆無なわけではなく、自分で可能なかぎり調べた結果としての楽観的な予測だったのだ。とはいえもちろん、万が一のことをまったく想像しなかったわけではない。お互いに。

 だから診断書のスキャンを送れと言われて、おまえ僕を信用してないのか、この場合にはしてません、というやりとりの末にやっと青木を安心させたときには、今週末行ってもいいですか、と聞かれる前に来いと呼んだ。夜に来て翌日早くに戻らなければならない強行スケジュールなのはわかっていたが、それでも会いたかった。

 覚悟していたとはいえ今日の青木はしつこかった。触りたがり確かめたがった。滑る指にからだじゅうを踏査された。自分でも気づかなかった体内の変異を発見したのがその行為だったので、いまさら文句も言えない。青木は絶妙なバランスぎりぎりのところでやさしかった。必要以上に気を遣えば閨が白けるのがわかっていたし、とはいえふたりとも今日会った時点で普段よりも精神を消耗していたのも事実で、それでも若い恋人は薪を労り、導いて燃やした。長い行為が鎮まった頃にはそのせいだけではない疲労もあって、寝落ちしないように意識を保つのがやっとだった。同じリネンの上で眠るのがひどく久しぶりに思えた。でもまだ伝えておかなければならないことがある。

 「悪かったな」

 ふたりの神経が鋭角を収めて、いつものような事後の甘さが感じられるようになったタイミングで薪は言った。「心配かけて」

 「いろいろ考えました。万が一のときにはどうやったらあなたのお世話ができるだろうとか」

 「専属看護師でも雇うさ」

 「俺が嫌なんです。俺がそばにいたいんです」

 それはそうだろう、とさすがに反対できない。心配させるだけで身動きの取れなかったこの二十日余りの日々を、申し訳なかったと思ってもいた。その程度に贖罪の必要は感じていた。

 「いろいろ考えました。あなたのいない世界はどんなだろう、とか」

 「おまえはなんとか生きていける」

 「もちろんです」

 「そもそもそういう約束なんだ」

 「わかってます。だから」

 横たわって薪を抱いていた青木の腕に力が入った。「俺じゃなくてよかった、って、思ってしまって」

 寂しそうな声が柔らかい髪を梳き、その微かな振動の波間に潜む感情が震えた。「あなたをあとに残すことにならなくてよかった、って。俺がいなくなったら、あなたの甘い声や、なめらかな肌や、ダイヤモンドみたいな涙を知っている人がいなくなる。俺はあなたより先には死にません。あなたがどこにいても、あなたを憶えて生きていきます。ずっと前から好きなんです、あなたがどんな声で俺の名前を呼んで、どんなやさしさで俺に触れて、どんな眼差しで俺を見たか、全部憶えて生きていきます。あなたをひとりにしません。二度と」

 触れられすぎてのぼせたのかもしれないと思った。頭がくらくらする。こいつはどうして、できるかどうかわかりもしないことをこんなにあっさり口にするんだろう。明日交通事故で死ぬかもしれないのに。来月テロに巻き込まれるかもしれないのに。離れて暮らしていたら、一緒に死ねない可能性の方がずっとずっと高いのに、どちらが先かなんてわからないのに。

 青木は昔からそうだった。伝えるべき言葉を見つけてからは、ためらいなくそれを声に出した。薪がそれを求めたからだ。失うことにもう耐えられないのは僕なんだ、と差し出されたものを拒絶しようとしたとき、青木はそんなことにはならないと、あの能天気な無鉄砲さで応えた。それを拒みきれなかった薪自身が、ふたりをこんな遠くまで運んできた。

 「終末時計ってあるだろ。人類滅亡までの残り時間を示す」

 「はい」

 「あれに似たものが僕の中にあって、今まで何度か針が進む幻が見えたことがある。鈴木が死んだとき。滝沢の脳を破壊したとき。おまえに殺されたいと思ったとき」

 目を上げて顔が見たかった。だが見たら泣かせてしまう。「おまえとの関係が変わった朝は、針が戻るのが見えたと思った」

 「それは……ありがとうございます」

 「でも今回のことで、まだだって思った」

 「なにがですか」

 「まだ、――」

 世界の色が突然変わる瞬間がある。青木の指が脇腹をなぞり、「ここにしこりがあります」と震える声を届けてきたとき。悪性ではないと医者の診断がおりたとき。青木に心を告げられて、その手を拒んで引き戻されて、受け入れたとき。生き方が変わる瞬間があった。何度も。今も。

 「アメリカまで追い出されることが決まってから、意識的にもう少し生きてみようと思った。ニューヨークでおまえに会って、生きているのも悪くないと思えた。パリでひとりになって、呼吸をするのに努力する必要がなくなって、生きるのも難しくなくなったと感じた。でも今回、初めて思ったんだ。まだ、死にたくないって。もっとおまえと一緒にいたいって」

 「死にたかったんですか。ずっと」

 「そうじゃない。生きたいかどうか、考えてもいなかった」

 「いまは俺を、愛してるんですか」

 「そうじゃない」

 顔が見たかった。だがもう泣かせているはずだ。「命に関わるかもしれないと思ったからじゃない。そのせいで気づいたわけじゃない。前から愛してただけなんだ」

 ずっと閉じ込めてきた言葉を形にしてみると、麻薬のような甘美な響きがして幸せな気分になった。青木に抱かれて溺れる感覚に、その胸から抜け出せなくなるような恐れを何度も感じてきたからだ。自分が死ぬことでそれを失うのなら悪くないと思えた。けれどもそうならないとわかったときに、この真っ直ぐな魂を持つ男に、まだ伝えていないことがあると思った。

 自分が青木に求めていることは、順当ではあるが残酷でもあった。居丈高に要求しても、それくらいの自覚は持っている。若くして亡くした両親、自分の手で失った親友。残された者が思いを抱えて生き続けなければならないことのつさらは、もう耐えられないと言った自分がいちばん知っている。こんなに自分を愛している男に、それを強いるのだ。ならばせめて、応えて伝えなければならない。

 青木は何も言わなかった。それから薪は簡単に眠りに落ちてしまったので、そのあとのことは何も知らない。整え直した寝具の上で楽な姿勢をとらされて、それを長いあいだ見つめられていたことも、最初に気づいたときと同じように、外から見ただけではわからない体の中の隆起に触れて確かめられたことも。ただ、やさしい指が頬を撫でて、なにかひどく甘い言葉をささやいたらしいのは、空気の揺れでちゃんとわかった。

 

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