なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? 的な。 タイトルだけです
間もなく鈴木さんの命日です。
いい機会なので(自分の脳内の混乱をおさめるために)整理しておきたいと思います。 ←何度か似たことやってますが、整理しないと全体像を把握できない人
2059年6月
8日 ブロルゼン・メトカーフ彗星近日点
2059年7月
5日 鈴木さんの33歳の誕生日
6日(日) 仙台の「第九」第二管区建設予定地視察
10日頃 「データ消失」
2059年8月 貝沼逮捕
9日 鈴木さんが貝沼の脳のデータを見て破壊
10日 鈴木さん死亡
2061年7月
28日 ハレー彗星近日点
2059年の鈴木さんの最後の2か月って、特に8月に入ってからの10日間っていうかほとんど1週間って、めっちゃ忙しい。貝沼の逮捕・自殺が仮に1日だとしても、その脳を取り出して捜査して捜査官が2人死んで、鈴木さんが自宅療養を命じられて、でも抜け出してひとりで貝沼の脳を見てデータを破壊して、っていうのが全部9日までになされるわけです。
そのほんの2か月前には薪さんが彗星を前にぶーたれてて、1か月前にはあんないい顔して旅行に行って写真撮って、戻ってきて再捜査命じられてもらぶらぶだったのに!!
でもまあ直前までとんでもなく仲良しで、精神を病んでつらかった時期が1週間程度と短かったと思えばそれはそれで救い
薪さんだって滝沢から銃を渡されたときは穏やかな顔してたし、「日に日に弱って」「薪が心配だから」と言われるよりは元気そうに見える。
いやあの難癖つけたいわけじゃなくて。
どうしても、なぜ死んだ鈴木。と(疑問ではなく苦悩の叫びとして)思ってしまうわけです。
青木が気に入らないとかではなく、そもそも鈴木さんは亡くなったことで物語が成立しているので(ジョジョの5部の半端に怖いスタンドでそんなのいたな死んで発動するやつ……既に死んでいるがゆえに乗り越えられない、というところも似ている。って思考が錯綜ぎみです)そこはどうしようもないんですが、あの頃の薪さんの苦しみは結局あの人に帰結するのかと思うと、死ななくてよかったのに……とせんないことを思ってしまうのです。
それで管理人考えました。
最初の自殺者が出た時点でほんとうならば、上層部がなにか対策するべきだった。それが鈴木さんの自宅療養だったのかもしれませんが、でも残された部下が滝沢しかいない状況で9日の夜中にまだ薪さんが職場にいたことを考えると、薪さんひとり+滝沢(←この際オマケでいい)で捜査の続行を、しかも締め切りとか設けられて強制されていた可能性が高い。
人より過酷な過去を持つ薪さんはこの時点ではまだしっかりしてたかもしれないけど、このまま見続けたら薪もいずれ壊れる、ということを鈴木さんは心配したんだと思います。
それを救いに来たのね!(号泣) 部下はみんな壊れちゃったけど、薪がそうなる前に、とあの人は思ったんですよ。その意味で1巻の青木の推測は正しかった……けどならなぜそのデータを薪さんに見せたのか……まあ自分の手で鈴木さんが死んだ、という状況を踏まえたら、そのあと何を見たってそれよりつらいことなんかないとは思うし、その状態でならむしろ鈴木さんの真意を知ったほうが薪さんは救われるし、そこまで考えて鈴木さんの思いを薪さんに伝えようとしたのなら、青木エライ。 ←なんとか青木の行動を正当化しつつ同時に鈴木さんの死を無駄にしない方法をむりくり考えました
そして細工した銃なんか渡したことから、薪さんも認識してなかった鈴木さんの行動を滝沢は把握してたんでしょう。覗き見してたんだろう奴はきっと。
科警研は警察庁の付属機関なので、その上層部とは警視庁の長たる警視総監ではなく、ちゃんとわかってて頼りになりそうなあの警察庁長官だと思うんですが。
そしてあの能無しそうな総監、その座にいること自体がおかしいうえに(あ、プレミアムのコネでその地位についたのか ←そんな国家組織ヤダ)カニバリズム事件の顛末からいうと処分されてしかるべきだと思うんですけどいまだにトップにいるし(トップだから処分されなかったのかも)、だいたい上り詰めた頂点で「万年」警視総監って定義的におかしい。さっさと辞めろ、下が詰まってんだから。
そんなわけわかんない組織の中で薪さんは鈴木さん亡きあともその思いを継いで必死に「第九」を守って仕事を続けて、上からは相変わらず無茶言われるしその「第九」も偏見にさらされてる(当時)し青木は雪子さんなんかと婚約するし、神経めちゃくちゃで眠れないし、そりゃ誰でもいいから抱いて眠らせてくれ、と思うだろう、と泣いた管理人です。
さらに青木のお姉さんにまで危害が及ぶし、どれほどおつらかったでしょうあの日から決戦までの3年間。
言いたくなるよね「もうダメだ鈴木」って!! ←ここも書いてて泣いた
そうして我々は耐え切れず二次をかくんだな。
薪さんを愛して支えるということは、そういう思いを乗り越えてたきた人とともに生きるということなのだと、青木にはもっとしっかり自覚してもらいたいものです。過去の詳細は知らなくていい、ただ黙って支えてほしい。
と、いうことを命日を前にしてつらつら考えました。 あちこちのブログさんで既に考察されてたらご容赦ください
それにしても、鈴木さんの命日なんて今から40年後ですよ。自分がビミョーに生き残ってそうな なさそうなこの数字が、オバチャンにはせつない。「50年もすれば「思い出」を「思い出す人」すらもいなくなる」って、あれ何度読んでも泣けちゃうんです。
山本さん(猫)です。
媚売ってるように見えますが、目を開けたまま寝ています。