みなさま こんばんは。
年度末仕事納めみたいなのってあるんでしょうか。わたしの職場は3月後半が比較的ヒマで、最終週はすでに新年度体制になるので、世間の事情がよくわからないのですが。
こねこずは元気です。今日は猫家事と病院通いとにんげんの若者の世話が大変だった日で、管理人はちと消耗しています。
こちら眠くてまどろむ青薪、じゃなくて、岡部さんと小池です。
話かわって。
先日ほづみさんもご自身のブログでちょっと言及してらしてのぞかせていただいたんですが、薪さんの大学時代について。理系の天才好きの管理人が、気になって気になって仕方ない薪さんの学歴を検討してみました。
これまとめたのは2月くらいでした。その後メロディが発売されたり雪降ったり仔猫来たりで出すタイミングを伺っているうちに、3月も終わり近くになってしまいました。新学期以降には鈴木さんとのおはなしをちょこちょこ書きたくてその布石、というのもあります。わたしの学生鈴薪はひたすらほのぼのしてる予定なので、子育てしながらでも余裕で書けそうな気がする。
ものすごく長いです。
学歴は気になるけど長すぎて読むのめんどくさい、という方は、6の「まとめ」だけどうぞ。もう少しだけめんどくさくない方は、色付き・下線・大文字部分を拾っていただけるとだいぶわかると思います。
年表形式で横が長いのでパソコンのほうがきれいに読めます。スマホの方すみません。
1 【IQ】
とりあえず学歴以前にわかりやすいところでIQですが、2005年版世界最強の女性、コンドリーサ・ライス氏(要は自分が知ってるもっとも頭いい人のひとり)が180だときいたことがあり(※ 1)、まずそれを設定しました。
※ 1 あくまで世間の噂であって計測値ではありません。
ただ「創世記」みるとあの時代の東大生はあまり頭よくなさそうなので(ここは謝らない。頭いい東大生ならわたしに怒る必要ないし、頭よくない東大生には怒られる筋合いがない)、相対評価であるIQはあがるはず。もう200でいいんじゃないかな(※ 2)。
※ 2 通常おとなの知能指数がこれほど高い数値で出ることはありません。
以上のことから、「実測値150超、でもそれだとスゴさが世間に伝わらないので、薪さんを崇拝する我々としては180~200ということにしておく」でいきたいと思います。
2 【暫定学歴(想像)】
次に、どこで何を学んできたか、という意味での学歴を考えていきます。
以下、下線が引いてあるものは原作に書いてある情報です。
まず新装版12巻の年表に、
2044年3月 薪剛、京大卒業
東大入学まで1年のブランク
とあります。同じことは『パーフェクト・プロファイル』にも書いてあります。
また同じく新装版1巻のプロフィールに、
2044年 17歳 飛び級により京都大学生命科学研究科 博士課程修了
とあります。
「創世記」にも、
とあります。これは東大入学時の履歴書に書いてあることですから、薪さん本人が記入したものです。
12巻と『プロファイル』にある「京大」は、実は「京都大学大学院」のはずです。1巻プロフィール及び「創世記」にある「研究科」がそもそも学部ではなく大学院にあるものであり、博士課程も同様だからです。一般的には「京大卒業」は学部を出たことをさすのであって大学院は含みませんので、ここは訂正する必要があります。
また「博士課程修了」ということは、単に論文を出しただけではなく、在籍して研究していた、ということであり、さらに博士号の取得をさします(一般社会にはいろいろな意見がありますが専門家のあいだでは一応そういうことになっています。博士号の意味を理解している人なら、博士号をとっていない場合に「課程修了」とは書かない。「単位取得退学」とかそんなのになる)。
よって薪さんは京都大学博士(生命科学)であると思われます。か、カッコイイ……。
なお「可視光線」に東大卒業時の言及があるので、東大では飛び級やブランクはなかったと認められます。
これらの情報から遡って当初考えた、相当無理がある中で最大限無理のない大学院以降の設定は、以下のようなものでした。
2044年3月 17歳 1年で博士号取得
「東京大学電気通信技術脳情報研究所」で思考の映像化の研究に協力
3 【冴子さんからの情報】
そこへ住田冴子さんが「17歳で京大に来た」なんて余計なこと言ってくれたので、考え直さなければならなくなりました。
この言葉を額面通りに受け取ると、
2044年1月 17歳 (誕生日)
2044年2月 17歳 高校飛び級により京都大学(大学院) 入学
2044年3月 17歳 卒業(修了)
と、最大2か月で!博士号を取得して卒業(修了)したことになってしまいます。いやいやいやいや。
まず2でみたように、「京都大学」は実は「京都大学大学院」のことであり、冴子先生が言ってる「京大」も「京大大学院」のことです。
しかしそこだけ訂正してもたとえ薪さんでも、2か月で博士号をとるのは無理です。現行の法令・慣行を無視したとしても、博士号取得のためには広い実績が必要なので、論文を3本ほど出して認められなければなりません(論文をたった一本仕上げて博士号がもらえる、ということは通常ありえません)。
しかし2か月で科学論文を1本だろうが3本だろうが書くのは無理です。脳みそや忙しさの問題ではなく、実験にかかる時間、追試(実験結果の確認のための再実験)や証明にかかる時間、学会や雑誌に成果を発表して評価・フィードバックをもらう時間、それによって実績を積み上げる時間、等々が絶対的にたりないのです。
4 【時間の矛盾を解決する】
この時間の矛盾を解消するために思いついたトリックが2つ。
(1)
詳細は次節5で述べますが、薪さんは高校時代から大学院の教授陣と共同研究をしていて、論文も書いていた。
京都大学大学院には博士号をとるためだけに2か月のみ在籍した。
(1)の「2か月のみ在籍」は大きな問題が複数あります。
・博士号をとるためだけなら論文を出せばすむので、在籍する必要はない。なお博士号の前段階としての修士号をどうするか、という問題は、次の節で述べます。
・たった2か月では住田俊朗教授に「京大在学中は大変お世話にな」ることなどできない。そもそも住田教授と親しくしていたのは、蝉と服装から夏のことだった。
すると、
(2)
冴子さんが薪さんの年齢を勘違いしていた。
しかありえません。薪さんが飛び級で入ってきたことを、つまり「18歳じゃなくてもっと若くして入ってきた」ことを、冴子さんは「17歳」と適当に表現したに過ぎないのです。
夏に京大にいたこと、44年17歳の3月に修了したこと、を考えると、京大の大学院に進学したのは、最大限に遅くして43年の4月、16歳のときでしょう。
以上2、3、4をまとめると、
2043年4月 16歳 京都大学大学院生命科学研究科 入学(進学)
2044年3月 17歳 京都大学大学院生命科学研究科 修了(博士号取得)
となります。ここからさらに、
・ということは高校は飛び級していて長くても1年しか通っていない
(義務教育の小中学校を飛び級していないと仮定した場合)
(学ランを着た写真があるので、短期間でも高校に通っていたのは確か)
※ 学ランが鈴木さんとお揃いであることの謎はここでは放置します
・薪さんは大学院に実際に在籍して(通って)研究していた
ということがわかります。
なお「京都大学大学院生命科学研究科」は実在します。99年ごろにできたようです。
この研究科は学部を持たないので、進学元は専攻内容から考えて理学部や医学部、また情報系の人々であると思われます(通常は理学部に対して理学研究科のように、学部と大学院はセットで存在する。教授陣が共通しているため学部の学問と大学院の研究内容が直結しており、大学院の進学元はその学部であるのが普通。大学院しかないのはたいてい新しい学問分野で、そういうところは研究者もいろいろなところからくる)。
5 【中学~高校】
さてここで、澤村さんという家庭の事情もあったので、(今更ですが)京大の大学院に入る前に学部に通っていたという設定は難しい、と仮定します。
よって薪さんは高校時代の1年間を通して、京都大学大学院の教授陣と、共同研究をしていた、と考えるのが妥当です。これなら、1年間の研究成果を次の1年でたとえば3本の論文にまとめて博士号取得、というかなり立派な天才ができあがります。
なお現行制度では修士号を持たない者が博士号を取得することは基本的にできません(名誉博士などは別)。また大学の学部教育を修了していない者が大学院に進学することも基本的にできません。
このへんは法制度改正、大学の国際化とシステム改変で対処できますが、先に述べたのと同じ理由で修士号取得にも時間がかかるので、小学生の頃から独学で大学レベルの勉強はしていて、中3くらいで書いた論文が修士号相当と理学研究科あたりに認められ、そこから生命科学研究科との共同研究→博士号、という流れになったと想像すると、かなりすっきりします。
生命科学研究科の博士課程進学の前に理学研究科での修士論文研究を設定するのは、学部を持つ理学研究科のほうが大学院しかない生命科学研究科よりも敷居が低いと思われるからです(実際には逆の場合もあります。旧帝大の教養部解体に伴う教養系の新設大学院などは、学部を持つ大学院に入れなかった人がお茶を濁す場所となっていることもあります。京大の生命科学研究科は、想像だけどたぶんそんなことない)。
なお高校、大学院時代を通して、京都には基本「通う」スタイルだったんでしょうね。高校の時は週1、2日とか、大学院だと週の半分とか一日置きとか。実験が佳境に入ると京都に1週間くらい詰めることはあっても、執筆は東京でとか。家政婦のミタさんや介護士の松嶋さんがいちばん活躍した頃だと思われます。
※ 余談ですが管理人の大昔の元カレのお父さんが、海外留学中に2年間で修士号と博士号を両方取得した、という話を聞いたことがありました。そのお父さんは実験屋ではなかったというかそもそも文系だったので可能だったのかもしれませんが(専門にもよるが文系は基本的にいっぱい読んで考えて考えてまとめればなんとかなる)、とにかく気が狂う直前だったそうです。
6 【まとめ】
以上をまとめますと天才薪さんはやっぱり天才で、「ニューロンの修復作業」なんてものをほとんどが東大法学部卒業生で占められる第九でなんでやれるかというと、薪さんと、あとMITを出てる宇野さん(天下のM工科大には「さん」をつける、わたし第二管区の住民でもあるし)がなんかシステム作ったんだろうな(それか法医第一でやってるんでしょう)、と思うわけです。
学歴のまとめ:
2039年以前 小学校時代 独学で大学レベルの科学を学ぶ
2039年4月 12歳 中学校入学
京都大学理学部及び大学院理学研究科と共同研究
2042年2月 15歳 中3
2042年3月 15歳 中学校卒業
2042年4月 15歳 高校入学
→博士論文につながる
2044年3月 17歳 同 博士課程修了(博士(生命科学)京都大学)
7 【妄想追加】
博士号はこのさいだからいっそ、どっか海外の大学にも出して2個くらいとっといてほしい。
東大では逆にずいぶん無駄にのんびりしてたんだなあ、という感想を持たざるを得ません。鈴木さんと一緒にいるのがそれほど楽しかったのね薪さん。
あと最大の謎、なぜ京大大学院と東大のあいだに1年もブランクがあるのか。
そんな意味不明で無茶な設定があるなら、家庭の事情を無視してどこかに留学させたいです。短期でいいからさ。個人的趣味としてはやっぱMITなんですがここは宇野さんとかぶらないように、スタンフォード、プリンストン、カルテック、UCバークレーのいずれか(シュミです)。留学中に特別講義持たされて教えたりもする。 うわーなんか書きたい
そのうちぜひ宇野さんの学歴なども考えてみたい。警察大学校以降とかも楽しそう。
わたしの見落としがあったり疑問や矛盾があったりした場合には、ぜひお知らせください。本日は貼って確認するだけで力尽きました。長いの読んでくださって、ごくろうさまでした。