雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

正月のことと地震のこと

 

さきほど「地震発生から丸一日が経ちました」というアナウンスを聞いて、まだ一日か、とちょっとびっくりしました。

災害は日付を選ばずやってくる、とはいえ、なにもコロナあけの元旦から、と思わずにはいられません。日本てたぶん、この新年の正月がいちばん大切な祝日で、そういう国、他にないんじゃないかと思うんです(※雑な所感です)。欧米はクリスマスとかサンクスギビングとかだし、アジアは軒並み旧正月だし。中東やアフリカはよくわかんないけど。

正月と地震のことを少し書きます。

 

 

実家は本家なので、父方の親戚が年4回、盆暮彼岸に集まります(母方の親戚は女きょうだいが多いため、2日に母の実家に集まります)。ついでに近所に住んでいると秋祭りにも。中でも正月がいちばんたくさん人が来て、今年は新しく結婚した甥っ子が奥さんを連れてきました。そーゆーことになってるんです。奥さんのほうはびっくりしてましたけど。

父母の世代から上は専業農家のわたしの母を除きおばさんたちは全員専業主婦ですが、さすがにわたしの世代から下はみんな外で働いているので、元旦から仕事の人もけっこういます。特に医療関係者。それで上の世代に比べると「全員集合」感は縮まってますが、謎なことに、儀式感はあまりなくて、みんな喜んで集まるんですよ。首都圏に住んでる弟たちですら、家族総出で帰ってきます。「遠いから」(ゆーても隣県)という理由だけで帰らないのはわたしだけなので、わたしは一族の中で変わり者扱いされています。

 

若い頃はそういう距離の近さが煩わしかったですが、わたしもさすがに初老になって、こういうのも悪くないと思えるようになってきました。特にこんな機会でもないと会えない甥っ子姪っ子世代のようすは、おばちゃんぽく気になります。

今年は自分の体力が回復してきたこともあり、4年ぶりに帰省しました。前回帰ったのはいつだったかな、と調べたら、2020年のコロナ直前でした。毎年集合写真を撮るので、証拠が残るのです。

こちらは雑な加工をした今年のバージョンのうち、若い世代(=家を継いでいない、という意味でわたしより下の世代のこと)の女性だけが集合したバージョンです。人数は全体の1/3くらい。

他に全体写真、ひ孫(=いちばん下の世代という意味で、亡くなった祖父母たちからみた世代のこと)集合写真が撮られます。

 

この人数が昼前から夜まで、各自おしゃべりしながらひたすら飲み食いしているので、おせちとか作ってられません。実家でおせちが作られた/出たことがない理由はこれです。

 

 

で、再三申し上げていますがわたしはまだガラケーなので、わたし以外のおとなたちのスマホが元旦の夕方、いっせいに鳴りました。緊急地震速報でした、初めて聞きました。

そのあとはもうテレビとネットでひたすら地震のようすを見てましたが、被災地(=東北でこういうときには東日本大震災の被災地のこと)に住んでたいとこですら、アナウンサーの喋りを「ずいぶんおっかない喋り方してる」って言ってて、ええー危機感を出すためにこういう喋り方にする、ってしたの、忘れたの??ってびっくり。

発生直後からテレビ画面に手話通訳が出てたのは、2011年の東日本大震災のときは停電してたからどうだったか知らないけど、少なくとも21世紀に入ってからなので(手話が言語であることをうたった「手話言語法」の制定が2006年)、インフラとしての手話通訳が少なくともテレビの初動体制では整ってきた印象です。ネットのNHKニュースでは現時点では手話通訳は出ていません。通訳者がそもそも名簿ができる程度の人数しかいないから仕方ないけど、インフラって結局そういうことで、つまり人も含むからね。ちなみに手話が第一言語の人々にとって日本語は外国語と同じ、せいぜいがかなり訛った方言と同じなので、ネットにつながって何か読めると言っても簡単ではないです。

あとやはり初動というか当初発生から少し経った頃に「やさしい日本語」での情報が流れたのも、阪神淡路大震災を発端として2019年の台風災害を経て、発展してきたなと思ったことです。時間が経つと諸外国からの情報が逆に入り始めるので自動的に多言語化するんですが、情報の少ない当初は、外国人住民にもわかりやすい「やさしい日本語」で情報を流す必要があります。日本国内ではインフラとしての多言語化は進んでおらず、手話と同じく通訳翻訳できる人がそもそも少ないので(国内の外国籍住民のルーツの第1位は中国、第3位は韓国で、このへんは日本語のわかる在日の人々やそもそも日本語ができる人も多くネットワークもあるので同胞からの情報も入るけれど、第2位はベトナム、85%はアジア人で、英語も通じなければ日本人も相手方の言語がわからない)。

 

女性や子供は犯罪に気をつけて、っていうアナウンスが流れ始めたのは、経験から学んだんだと思いました。

全国に知られてるかどうかわかりませんが、被災地では避難所内も含めて、避難所内も含めてですよ、人のいる体育館とかで、レイプ被害は結構ありました。怖くて声が出せなかったとか、隣でレイプされるのを知ってたけど怖くて声が出せなかったとか、レポートも出てた。いっそ「性犯罪に気をつけて」のほうが(アンウンス自体が怖いし噛み付くやつが絶対出てくるけど)いいんじゃないかと思うくらい。

 

あとは地震発生からすぐの頃、やはりアナウンサーが「東日本大震災を思い出してください」って叫んでたのが、(わたしは被災してないから→)ありもしないトラウマを思い出させられて、微妙にしんどかった。

直後は津波への警戒の呼びかけが大きかったので、逃げ遅れることのないようにという注意喚起だったのですが、でもってそれを責めてるわけじゃないですが、この感覚はあまり語られていないけれど(なぜならアナウンスを責めるトーンを帯びるから)、感じた東北の民は多かったんじゃないかと勝手に思っています。20世紀生まれのアメリカ人が、かつてはJFK暗殺のとき、その後アメリ同時多発テロのとき、どこにいたか必ず覚えている、と言われるように、東北の太平洋側の人間は震災のときにどこでなにをしていたか覚えています。我々にとっての時間の感覚は、常に「震災前か、後か」です。コロナで世界が止まって「コロナの前か、後か」になったように、時代の区切り方がそこ基準になってます。

 

逆に、避難所の光景は阪神淡路大震災の頃からあまり変わっていなくて、食料や物品の備蓄がなされるようになったとはいっても、寝る時下に敷くものとかプライバシー配慮の衝立とかは、備蓄品には入ってないんだな、と思いました。衝立はともかく敷物や毛布は、当初こそ必要だと思うんだけど。圧縮しておけばいいんだし。

311の震災は三月でもまだ寒くて寒くて寒くて本当に大変だったので、その日の夜に凍死した方々もずいぶんいたと言われているので、とにかく1月という真冬の地震、暖が取れるようにと祈るばかりです。

 

今回はついったの猫アカウントにどうぶつが行方不明だというつぶやきが多くて、つらいです。311のときは初日に万単位で亡くなっててそういうつらさを言えない雰囲気があったけど、熊本を経て同行避難も言われるようになってきてる。道が通るようになって初動の時期を過ぎたら、預かりとかしたいなって思いました。距離あるし自分が長距離運転できないから、実際には難しいですけど。

 

 

テレビに映像や情報が流れ始めたのはもうちょっとあとだったので、実家での親戚の正月は続き、わたしも猫さまズの待つ村に元旦のうちに帰ってきました。

まだやっと一日が終わったところですが、ネットニュースはずっと流してて、首相が出てくると切る。あの喋り方がイライラするので。動いて喋ってるの初めて見た。

そろそろ仕事して社会と経済を回します。みなさまご無事で。