こんばんは。
まだありましたすみません。わたしの得意の、というよりわかんなくなるから必須の補助便利マシン(?)、年表です。
「雪子 結婚式以来の再会」なんですけど。
あれは当然、青木と雪子さんが、雪子さんの結婚式以来の再会、ということですよね。まあ青木は普段は九州にいるし、雪子さんは地下に潜ってるから(※)、なんぼ青木が各事件で科警研に顔出してるからって、会うこともなかったんでしょう。
※ 死体安置所兼雪子の仕事場が地下にあるという意味
※ 死体安置所だからといって本当に地下にあるのかは想像です
結婚式がいつだったか、だいたいの見当がつきました。
2062年11月以降 |
薪さん、渡米 |
2065年7月 |
薪さん、帰国して科警研所長に就任 |
2065年10月 |
青薪、帰国後はじめての再会 |
2066年夏〜年末 |
雪子、妊娠している |
たぶん2068年1月 |
雪子の子供・日向の写真入り年賀状 |
2069年8月 |
早瀬拓也 死刑執行 |
半月後 |
青木と雪子、結婚式以来の再会 |
薪さんは日本の警察においても科警研においてもMDIPにおいても基本的に「えらい」人なので、島流しにされていた2年半のあいだ、一度も日本に帰国しなかったとはあまり考えられないんですが、とはいえ国を追い出された経緯も特殊なので、つまり「ここらへんにいられると困るからほとぼりが冷めるまで外に出そう」という上の思惑があったので、そこを強く考慮に入れるとやはり帰国しなかった可能性もあります。
いずれにせよ、仮に帰国してたって青木に会う機会があったとも思えず、ここは2065年の「原罪」が、無印以降のふたりの公式な(つまり二次はどうであれ ←うるさいよ)再会であった、と考えます。
この
・海外に流されてたあいだは帰国してない
・薪さんの帰国後の2065年10月に青薪はやっと再会した
を踏まえると、ふたりは雪子さんの結婚式に一緒に(パートナーとして、という意味ではなくて同じ時間軸で、という意味 ←うるさい)出席しているので、式は2065年10月以降です。
さらに雪子さんが「可視光線」の時間軸でつわりで吐いていたとすると、妊娠したのは春から夏にかけてで、結婚後に妊娠したとすると、結婚式は2065年10月から2066年の前半までのあいだ、ということになります。
あー、すっきりした。まあこれをまとめるのに今号の情報は別にいらなかったんですが……。
雪子さんの旦那さんについては、エンドゲームのボディガード説が一部から出ていますが、わたしも結構それでいってるんですが、なにしろ『パーフェクトプロファイル』の年表に「三好雪子、SPと出会う」ってわざわざ書いてあるんですもん。
で、そうだとすると、SPつまりのちの結婚相手との出会いは2062年6月。同月に青木との婚約が解消され、薪さんが渡米する直前に青雪はまたいい雰囲気になっているので、雪子さんが青木と本格的に別れてSP(であれ誰であれ)と付き合い始めるのは、早くても2063年の年明け以降でしょう。2年半の交際で結婚を決めてその数か月後に実際に式をあげた、と考えると、結婚したがっていた女性としては、また年齢から言っても交際期間がちょっと長い気がしますが、出産の時期はほぼ確定しているため、これはしかたない(?)です。鈴木・青木とけっこう大変だったので、結婚に慎重になったのかもしれません。
清水先生も42歳の高齢出産でしたし、思うところがあったのかも。
(あ、娘さん18歳で受験かな……お忙しかったでしょうね、今年は)
先の年表に情報を追加して再まとめ。
2062年10月 |
雪子、SPと出会う |
同 |
青木、雪子との婚約を解消 |
2062年11月以降 |
薪さん、渡米 / 直前に青木と雪子、再交際? |
2065年7月 |
薪さん、帰国して科警研所長に就任 |
2065年10月 |
青薪、帰国後はじめての再会 |
|
↑↓この間、たぶん雪子の結婚式 |
2066年夏〜年末 |
雪子、妊娠している(39〜40歳) |
たぶん2068年1月 |
雪子の子供・日向の写真入り年賀状 |
2069年8月 |
早瀬拓也 死刑執行 |
半月後 |
青木と雪子、結婚式以来の再会 |
雪子さんの誕生日は10月18日なので、出産はほぼ確実に40歳となります。
以上、自分がすっきりするためのまとめでした。