こんばんは。
今年も冬至を意識する季節になりました。もーめっちゃ日が短いもんね。
こちら、今年の「日の入りがもっとも早い時刻とその日々」の表です。
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北東北 |
東京 |
福岡 |
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1129 |
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1628 |
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1130 |
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1628 |
1710 |
1201 |
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青木んとことうち、1時間も違う。過去に何度も調べて叫んで絶望してるけど、いまだにがっかりします、日の短さに。なお日の出は現在7時ちょい前で、福岡との時差は30分くらいです。
まあでもいいんだ、いまがもう既にほぼ「日の入りがもっとも早い」時期なのね。そう考えるとそのあとは日が長くなるだけだから、冬至まで1か月近くあるのに既に春に向かっているような気になって、嬉しくなりました。
他の地域の方ってどうなんでしょう。この「日の入りが遅くなると聞くとそれだけで(実際にはまだ雪も降ってなくても)冬の終わりに近づいた気がして嬉しくなる」感覚は、東北の人間はかなり一般的にけっこう誰でも持っているものです。
寒いのとか雪が降るのはもうこのさいどうしようもないんだけど、日の短さ、暗さは我慢できんのです。
以前冬にバンクーバーに出張したときに、みんな真っ暗な冬の朝にゾンビのように出勤していくので、見ているだけで絶望的になりました。サマータイムとかって時間動かしてなんか意味あんの??とマジで思った。よく文句も言わずに平気で会社に行くな、みんな。まあその代わりというか退勤時は、みんな16時には仕事終わってなくても平気で帰ってたけど。
バンクーバーの現在の日の出、うちより40分も遅い0740です。1月にはこれが8時過ぎになります。夏は日没が夜9時で日の長さが15時間もあるけどね! 真冬の倍もある。緯度高いところに住んでると日の出入り時間の変動が極端だから、一年の半分くらい絶望して暮らすことになりそうです。
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さて清水先生の原画展ですが、初日が勤労感謝の日、一日おいて土日だったので、ここまでの4日間で行った方はかなりいたんじゃないかとお察しします。
オフ会もあったようで、漏れ聞こえてくるお話が楽しそうでした。
オフ会がオフ会ではなくお茶会とかって呼ばれていた、つまりオンとなるネットのなかった時代は、同人誌の入手手段も基本的に郵送でした。わたしが前回オタ活やってたのは80年代半ば〜後半、コミケの入場者数が3万人〜多くて7万人の時代です。←調べた、当然行ったことはない
信じられます?? 80年代初頭は1万人で、8000人とかの年もあったんですよ。当時の意味でホンモノのオタクしか行かなかったような時代です。逆にというか、地方でちっこいコミケもどきはときどきありました。個人の開催で、公民館の大きめの一室みたいなところでやるの。どうやって参加の募集をかけてたんだろう。いまないんじゃないかな、そういうの。あったらすごい。
なおコロナ前の19年のコミックマーケットは、その前年までの50万人超をなぜか一気に超えて、75万人でした。余談ですが現在の日本の人口減数は、年間60〜80万人です。
んで、数字のコワイ話はおいといて、当時の同人誌は郵送なので、宛名も、奥付も、基本的に本名と実際の住所が書かれてました。たまに「〇〇方 泉織江」とか「××郵便局留」みたいな方もいらっしゃいましたけど、少数派でした。
まあどこの学校の同窓会名簿にも住所どころか電話番号、親の勤務先まで載ってたので……わたしの学生時代の同級生の名簿には、まだケータイがなかった頃なので、第二電話番号、つまり彼氏んちの電話番号も載ってました。卒論とか実習とかで急ぎのときには平気でかけてた。
「薪さんが出ないんですけど」
「第二番号にかけろ」
トゥルルルル
「はい」
「あ。所長いますか」
「え。と。いますけど、寝てます」
「起こしてください」
「波多野、あとからかけなおせ」
みたいなことが起こったりしたことでしょう。
漏れ聞こえてくる原画展の報告に、絵描きじゃなくても心踊ってます。心おきなく行けるように、真面目に働きます。