雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

そろそろ選挙行くか

 

こんにちは。

いま村内放送のスピーカーが言ってたんですが、16時現在の投票率は25%に達してないそうです。ここから上がるんだろうけど、こういう数字にははっきりとがっかりしますね。

 

 

なんかネットで知らん奴に「選挙行こうね」とか「投票行こうね」とか言われると、「おまえに言われんでも行くし行かねー奴はおまえに言われても行かねーよ」とイラッとするんですが、これはわたしの心が狭いんだと、わりとはっきりそう思います。だって実際、言われて行く人も一定数いるだろうから。

 

ただ、もうちょっと広い範囲でイライラするのは、こういうとき騒ぎ出すお祭り体質の知人が身近にいるから(そしてそれと似た奴らがネットにいっぱいいるから)、なんです。

「香典がわりに投票するのはやめよう」とか「相手が誰であっても暴力はいけない」とか「これに乗じた異民族排斥運動はいけない」(※乗じてなくてもいけません)とか、何十年前の呟きですかそれ、っていうのを、各SNSで繰り返し言う。

※そいつは「 映像を繰り返し見てしんどくなったら〜〜」も言ってて、有名ではあるけれど知人でもない人の死で情緒不安定になるとかそんなにあんの??と思ったけど、職場にもいたから、そこはわたしが人間に対して情緒がなさすぎるんだな、と思いました。

初老のいいオトナが声高に言うことか?? しかもあんた普段は選挙とか政治とか興味もなければなにも言ってないくせに、と思ってしまった。

まあでもマスコミの報道が暴走しているのと、10年前とはSNSの発達・浸透度が違うのと、を考えると、香典がわりに投票するのはやめようと言われてハッとする人ってのは本当にいるのかもしれない。ので、他人の言動でイライラしてる自分はよろしくない、と反省したのでした。

 

 

一個だけ看過できないことがありました。

尊敬しているフェミニストの研究者が、ヒラリー・クリントンの安倍元首相へのお悔やみの言葉に噛み付いて、「安倍を褒め称える事によってあなたは歴史的に存在を無視されてきた女性たちの戦いを踏みにじったことになる」と非難してまして。喧嘩っ早い人ではあるけれど、これは同調できなかった。

女性や性的少数者や外国籍住民はずっとずっと人権をないがしろにされてきたけれど、そしてそのことはわたしにとってすらものすごく重要なことであるけれど(※ わたしにとっての今回の選挙の争点は同性婚・LGBTQ・原発であって、物価高とか消費税率とかものすごくどうでもいいし、高等教育の無償化も改憲もいまは興味ない)、それでも政治家にとっての仕事がそれだけでないことはわかってる。国全体のバランスを取るためにはものごとに優先順位があるということも理解してる。そしてさらにそれが例えば夫婦別姓同性婚を進めないことの言い訳にならない(なぜなら多くの政治家は夫婦別姓同性婚を「根拠なく」「気に入らないから」進めないだけ、だから)こともわかってる。わかってるから、けど、活動家が一部の問題だけを取り上げてその政治家を全否定する、というのが全然納得できませんでした。

その研究者にとって彼は「いいこと「も」した」政治家ではなかったんでしょう。だけど全ての政策について意見が完全に一致する政党や政治家なんていないんだし、政治の場では駆け引きが必要なことだってある(『ブラザーズ・アンド・シスターズ』でロブ・ロウ演じる政治家がある法案に反対票を投じたことを非難されて、「あの法案はどのみち今国会では通らなかった。だけど僕があそこで反対票を投じることで別の重要な法案に敵方からの賛成票を引っ張ってこられた」と言う場面がありました。あれはとても、こういうのを駆け引きって言うんだよな、と思わされた場面でした)。

故人だからとかじゃなくて、「完全に」悪者扱いするその姿勢は研究者としてどうなのかと思ったけど、彼女にとっては安倍さんはナチスと一緒なんでしょうね。仮にも民主主義国家の、理想的でないとはいえ手続きを経た、民衆の支持を少なからず得て長期政権を安定的に維持した政治家をしてその扱いは、嫌悪が先に立って盲目になってるとしか思えなかった。市民全体をどうしようもないバカだと思ってるのかもしれない。

わたしもそれが動物虐待犯だったら同じ扱いをすると思うけど、幸い動物虐待犯は要職にいないからな。

 

わたしが最初に思ったのは、告白すると、これで拉致被害者の帰国の可能性は消えた、というものでした。事実どうなるかではなく、その瞬間に自動的にそう思ってしまった。悲しかった。

わたしは安倍さんの政策や信条や言動には同意できないことのほうがよほど多かったけれど、それでも嫌いな政治家ではありませんでした。でも今回は、志半ばで政権を二度も降りたときほど気の毒には思わなかった。そっちのほうがよほど悔しかっただろうと思いました。そこを踏まえるとまだまだ先があったんだろうけど、国家は個人に支えられて動くものではないから、人を失っても続くのが我々の社会です。ご冥福をお祈りします。