雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

秘密のハロウィン

 

こんばんは。

土曜日、隣県で4時間半ほどかけてゆっくり寿司をごちそうになって、新幹線で帰ってきました。ここしばらく週末はよそさまに食わせていただくことが多く、まともに食欲も湧いて大変ありがたいです。

薪さんをお迎えするまでに体調を整えようといま必死です。これではいつもどおり錯乱したままお待ちして錯乱したまま感想書き殴って1週間、つまり10月が終わってしまう。先週の出張の復命書も領収書もまだ出してないのに!
 
 
さて10月が終わるといえばハロウィンです。
わたしの世代は子供の頃の生活にそういうものが知識以外の実体験として存在しなかったので、クリスマスや誕生日以上にピンときません。正直サンクスギビングか、下手するとハヌカ灌仏会と同じくらいの距離感ある。
 
が、薪さんはやったんじゃないかなあ、と唐突に思い立って急に愛しくなったのです。ハロウインが、じゃなくて薪さんが。 ※ 子供の頃の話です
公式で澤村父が殺された2010年に澤村敏が12歳だったことがわかっていますので、親世代の生年は90年代末、21世紀直前ということになります。物心ついた子供時代とハロウィンがにぎやかしくなったころが一致しているので、薪のご両親も自分が親になったときに、季節ごとに海外を飛び回りながら(=弊社設定)ちっちゃい薪さんにいろいろさせたんじゃないかなあ、と。
 
シーツひっかぶせておばけのかっこさせておやつもらいに行かせたり(キャンディなんてそんな大量にもらって嬉しいか?? と個人的には思うけど)。
かぼちゃ彫ったり。
一緒に一日かけて七面鳥焼いたり。 ←これは感謝祭
ツリーのオーナメントの由来を語りながら飾ったり。 ←こっちクリスマス
9本立ての燭台出したり。 ←ハヌカ
あとはもうボクシングデーでも旧正月でもあちこちの独立記念日でもなんでもいいから、8歳ちょっとまでの家族が一緒だった期間、せいいっぱいいろんなことしていろんなもの見て、おとなの薪さんが普段語らないいい思い出がそこにあるといいなあ、と思ったのでした。
 
薪父は山の手育ちということですから、ご実家は近場だったんですよね。手塚忍(=グリーンウッド)んちみたいな田舎の頑固な権力者の豪邸とか想像してたけど、そんなわけなかった。
そんなに近くにいて、あんなにちっちゃくて利発でかわいい男の子がひとりぼっちになったときに、誰も手を差し伸べなかったっていうのは、いくらなんでもどういうことなんだろう。親戚じゃなくたって助けたいと思うもんじゃないのか。
 
その後鈴木さんに出会うまで笑わなくなってしまった薪さんの子供時代、かわいそうでかわいそうで。
そこを埋めようと青木が中年の薪さん相手にいろいろ年中行事をこなすのはさすがにあざとすぎると(中年を過ぎた自分としては)思うのですが(あ、よそさまでやっていただくのは大歓迎です)、薪さんは舞相手にやってくれそうな気がするんですよね。舞が自分よりさらに小さいときに、自分と同じく両親を殺されてるから。
 
薪さんが舞に会ったのって「可視光線」が初めてだといくつかのブログさんで指摘されていましたが、自分ではまだ確認してなくて、えっっ そうなの??とびっくり。
んで前回のメロディでそれを思い出してるということは、たぶんそのあと会ってないんですよね。つまり一回しか会ってないの、舞に?? それであんなに舞のこと心配するなんて、青木の関係者ってこともあるだろうけど、やっぱり両親のことは重いんだろうな、と。
 
などということを考えていたら、種々のイベントの青薪+舞的家族感が増していい感じの脳内になってきました。薪さんの舞へのあの入れ込みようだと、そういう方向は公式(の特別編)でもあってもおかしくないような気がしてきた。
 
 
数少ないハロウィン写真をアーカイブから発掘してきました。
こちらは震災の年の、復興真っ只中だった農場。

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大昔、留学生主催のパーティで作ったかぼちゃのランタン。いままでに参加したことのある唯一のハロウィンパーティです。
左から2個目の機嫌よさそうな奴がワタシ作。当時のワンコの顔を彫りました。

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