雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

青木ワンコ(仮名)の散歩

 

不在中の猫バイトのグループラインに流れてきたやりとりの、ハイライトをごらんください。

青木ワンコ(仮名)の散歩もバイトの仕事に含まれます。

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なおこの件をよそに報告したところ、「ほのぼのする❤️」とお褒めの言葉??をいただきました。

 

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今朝というか昼過ぎにやっと目が覚めて、隣に猫がいました。普通に。

黙って触れる距離で待っている宇野さん(猫)を見ながら、率直な気持ちを一度まとめておこうと思いました。職場や猫アカなどリアルでつながりのある方々と関係のある場所ではあまり話していないことなので、薪さんの(←)場所で書きます。長いです。

淡々と書いたつもりですが、ほんの少しでも「重い」ものが読みたくない方は、折りたたみの先はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

金曜日に退院して帰宅し、風呂に入って猫バイト(にんげん)にメシを食わせて、それから病院(猫の)と、役場の出張所及び建築事務所に行きました。遅れまくってるので早く書類を、とせっつかれていたからです。 ※遅れていたのはわたしではなく建築屋のほうです

 

その後、連休明けから始まるテレワークのための資料を取りに職場に行きました。この頃になると運転がしんどくなってきていたので、いったん帰宅してバイトさんに送ってもらいました。

すべて片付けてまた帰宅した頃から仕事のメールがやまほど来てました。トップが急遽方針転換して間に合わなくなった遠隔事業のせいで、各部署が愚痴に近い悲鳴を上げて、「各人がなんとかするように、こちらからの要望は以上です」的な連絡をしてくるのです。

 

環境調査のためのアンケートに答えてください、という要求を、今日まで年休で退院したてで明日から連休なんですけど、と決意新たにガン無視し、一方で資料のストックを整理して参考書を積み上げながら、わたし切ったばかりの体抱えてなんでこんなことしてんのかな、と考えました。

 

 

帰宅して少したつと、体の状態が自覚的に理解できるようになってきました。

誰もが内視鏡程度の手術だと思っていた(ツレに至っては局麻だと思っていた)のが、覆っていたものがすべて取れて汚れもなくなってみると、切開幅は12センチほど。かなり広範囲に皮膚の感覚がなく、表面も現時点ではかなりでこぼこしています。初めて、人に愛されない体になったかもしれない、と思いました(これはさすがにめめしすぎる、と思ってるときから思いましたが)。医師に尋ねたら回避できない後遺症で(←そういうことは先に教えてくれ、多少心の準備がいる)、「1、2年たったら少しは神経も戻るかもしれません」とのお答え。痛みがなくなるにつれてしびれのようなものが広がって、まだ右手でコロコロはかけられないし、右を下にして眠ることもできず、そこが定位置の猫はだっこできません。次の診察は、切除部分の詳細な検査結果が出る1か月後です。

 

そこに居座るような違和感、ドレーンの挿入口の傷が治るにつれてかゆくなってきた不快感と、触れても感覚がない皮膚表面と触れなくてもまだ少し痛みの残る体の内部を自覚するたびに考えるのは、ホスピスに入ったSさんと、「これが最後の手術ならいいんですけど」と泣いていた、隣のベッドの全摘の方のことです。

そして東北地方の太平洋側の人間にありがちな思考の方向として、震災の時に亡くなった人たちと、家族を亡くしたりはしなかったけれどそれゆえにつらい思いを吐き出せなかった、人生を失った人たちのことを考えます。

 

 

わたしの仕事は相手のあることなので、多少無理してでも仕事を続けるのは、上や事務方から要求されるからではなく、待っている対象者がいるからです。どうぶつ以外のことをサボる口実にしないのは、その意味で自分のプライドだからです。

とはいえ今回コロナと重なった様々な意味でのタイミングは絶妙すぎて、自分の時間をもっと自分と、じんせいの短いどうぶつたちと、既に年老いている彼氏のために、使ったほうがいい、と思ったのも事実です。

 

あの日のチェックで見つからなかったら、コロナで外出できなくなって知らず進行していたかもしれない。進行がちょっと違っていたら、新居に一日も住めなかったかもしれない。コロナがなかったら逆に仕事に大きな穴を開け、休職と代替要員の確保を迫られていたかもしれない。でもコロナがなかったら逆に病院がすいてて、新年度開始前に退院できていたかもしれない。でもコロナがあったから遠隔なしの在宅勤務期間があって、そのあいだに退院できた。でもコロナがなかったら発見から退院までほぼひとりなんてことにはならなかったと思う。自分が寂しがり屋でなくてよかったけど、でもさすがに奴と母親はうるさく連絡してきて、コロナのせいで会えなくてごめん、とは思った。

この騒ぎの中でも、自分がたまたま最後の無感染者県にいたこともラッキーでした。隣県では治療に入る前にまず2週間の休職を要請されます。ここは医療過疎地だけど、過疎地だから待ち時間も短くなんとかなった側面も逆にあった。国立専門病院では新患受付を(コロナのせいで)停止してるし、海外ではコロナのせいでコロナでない患者が治療を受けられない、という事例も出てきてる。

当初はコロナどころでなく気にもしていなかったのに、結果的にコロナと並走してしまいました。

わたしは巡り合わせみたいなものに感動しないタイプなので、上記のようなことは、事実として整理して咀嚼した、というものの羅列です。

 

隣の家の人(←いい人です)に、放射線治療も副作用は実際にはあるしつらいよ、と悪気なく脅されましたが、1か月以上先のことを心配してもね。

今日は叔母から気遣いのメールをもらいました。両親ともに専業農家の出身で、親戚の数がやたら多いうえにつながりが強いもので、地元を離れた(←みんな固まって住んでる)わたしは変人扱いされていつも気にされています。

叔母と同じように、何も言わなくても黙って気にしてくれてる人はあちこちにいる、ということを感じます。

 

猫がひとり、入院中に腎臓が致命的なまでに悪化しました。でも退院が一日二日早まったおかげで、連休前に病院(猫の)にかかることができました。

いろいろなタイミングがものすごくぎりぎりで、でももしかして生き延びるってそういうことの結果なのかもしれまい、と思ったりもしました。

ゾウやサイやトラは変わらず絶滅寸前で、動物虐待犯の検挙件数は増える一方で、社会は一向にわたしが信じていた方向に向かって動いてくれません。それでもわたしは自分が関わった猫たちをなんとか守ることに成功しており、曲がりなりにも文明国の現代社会に住むことの恩恵をフルで受け、変わらず好き勝手に生きています。わたしを幸せにしてくれたみんな、ありがとう。

 

 

長く、本当の意味でとりとめのない話になりましたが、読んでくださってありがとうございました。順調に回復しつつあり、強がりでなく元気なのは、本当です。

明日は妄想します!

 

左から、宇野さん、小池さん、岡部さん(全部猫)。

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