雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

SS「秘密の上に費やさむ」

100万回生きたねこ』なんですけど。

あの絵本が出て来る漫画を読んだのは初めてじゃなかったので、ここでもか、と違和感なし。おはなしの中で一冊読む絵本、だったら選んじゃうよねコレ。

きっと青木が、ねこの話かあ、と能天気に(←どうしても能天気属性から抜け出せない、青木ゴメン)図書館から借りてきて、読んでみたら泣けた、というパターンではないかと想像しています。

 

2件の問い合わせがどちらもガセだった小池猫。しばらく嫁に行く予定はありません。

f:id:orie2027:20190701230429j:plain

 

佐野洋子さんは谷川に惚れて、周囲の友人に「あの男を絶対落とす」と宣言して、実際落としたのですが、そのときの手法が「毎日毎日手紙を出す」というものだったそうです。青木も頑張って、と思いますが、その佐野エピソードを真似したことがあるんですわたし。気質がストーカーなもので。心臓病の男はこれで落としました。

佐野さんのほうは佐野さんというか谷川が、結局彼女に惚れすぎて『女に』という、人生と彼女とのセックスをうたった美しい詩集を出し、これがスリーブ入りで挿絵は佐野さんのエッチングというなかなか豪華なつくりで、「老いらくの恋」と当時騒がれたものです。なにしろ生まれる前から始まって人生を語り、死んだ後のことまでを一冊にした、喜びと不安にあふれた詩集です。わたくしいたく感動して、学生だったもので同級生に見せたところ、「恥ずかしい」と却下されました。当時のわたしには、詩や絵画に対してそういう感情が芽生える人がいるのだ、ということが衝撃的でした。世の中は美しいものだと信じてた頃の話です。

 

猫の山本さんと、手前は今井猫。

f:id:orie2027:20190701221609j:plain



さて読み聞かせです。いいですよねうふふ。

うちでは鈴薪の甘甘(?)パターンなんですが、青木にも飴をあげたい。そういえば谷川の詩で薪さんがちょっとおかしくなる話とかもあるんだけど、鈴木さんの誕生日の前にあまり青薪で盛り上がるのも空気読んでない感あるので、薪さんが青木を甘やかして読み聞かせする短いおはなし、を書きました。

 

なにがいいかな、薪さん→青木ならやっぱり詩歌だな、と本棚を漁ること数分。『ルバイヤート』が出てきまして。これを使ってみようと思ったんですが、これが、ネットでざっと調べた一般的な『ルバイヤート』と、全然違うんです。内容も詩の番号も。理由はわかりません。

 

honto.jp

 

今回は手持ちのこれを利用して、古語に訳されてたので自己流で直しました。

 

**********

秘密の上に費やさむ

 

 遅くやってきた青木がシャワーをすませたあと、すみません今日はもうなにもかも無理です、と謎の言い訳をして、ベッドの隣にもぐりこんだ。待ちくたびれたようすを見せない人の腰にしがみつくように抱きついて、ほのかなくちなしの香りに酔いしれる。まだ少し湿った髪が薪の寝間着に水分をわけ与えることすら気遣う余裕がない。

 薪は青木が来る前から読んでいた本のページを静かにめくっている。落ち着いた呼吸と紙のはためきが同期して重なる。疲労と甘えで少しふさがれた喉が、低いトーンで話しかけた。

 「なに読んでるんですか」

 「寝てろ」

 「なに語ですか」

 「ペルシャ語

 「聞かせてください」

 青木の耳にはわずかにこもって聞こえる発音で、薪が紙の質感をなでるように文字を読んだ。疲労で霧がかかった重い脳髄が音の表面を追いかけて、それでかえって特徴的な韻律をつかむことができた。

 「『ルバイヤート』ですか」

 薪の声が止まる。「詩のリズムでしょう。ペルシャ語の詩で俺が知ってるのはそれだけなので」

 そりゃそうだよな、とほっとしたようすはおくびにも出さず、平然さを装って続きを読む。青木がフランス語ができるのを知らずに薪がうっかり彼の地で告白めいたことを口にして以来、警戒レベルが上がっていることに、青木は気づいていた。バカじゃないんだなと認められるのは自尊心が、とりわけこの規格外の想い人に対する自分の存在意義という意味での自尊心が満足したが、ふと気が緩んだことばを聞けなくなるのは残念だった。

 ぼんやりした意識の中で、意味を教えてください、とさらに甘えた。薪は一瞬押し黙り、中世のイランの詩集にふさわしい語彙を選ぶ慎重さから、外国語を読みあげたときよりはゆっくりとした抑揚で訳を綴った。

 

 存在の火のきらめきを、

 秘密の上に費やさむ。

 真偽の境目が一筋の髪のようにわずかならば、

 人生のかかるよるべは何であろうか。

 

 それは恋人の漆黒の瞳、

 瞳の中の原子、原子の中の宇宙。

 真空を奏でる風のごとく、

 僕の弦を震わせる。

 

 節を意識した区切り方で、四行を穏やかに紡ぐ。少し間をあけて再開した後半は、世界観が変わって聞こえた。

 その声は光る波であり、エネルギーだった。けして低くはないけれど、そのつもりで聞けばよく通り、力強く柔らかだった。輝く粒子に翻弄されそうになりながら青木は、途中からならごまかせると思ったのかな、この人も意外に学習しないな、と表面に出さずに内心くすりと笑う。

 だがそこで薪の語りが止まった。膝の上の男の微妙な変化を感じ取ったらしい。諦めて顔をあげると、氷の視線で見下ろす美しい顔と出会った。

 「真面目に聞かないなら読んでやらない」

 「あなたが俺のことをいつまでもなめてかかるのはいたしかたないですが」

 パジャマの裾から手を入れて素肌に触れる。「『ルバイヤート』は厭世観と享楽の詩集でしょう。それに原子の発見は20世紀初頭だったはずです」

 「古代ギリシャデモクリトスも原子論を唱えてる」

 「その後2000年間忘れ去られてました」

 押しのけるようによじった詩人の細い腰を、腕に力を込めて抱きしめた。

 「おまえ今日はなにもかも無理なんだろ」

 「元気でちゃいました。あなたにバカだと思われて」

 「褒められるより嬉しいのか」

 「そうですね。俺をみくだして、油断するあなたが好きです」

 薪が諦め力を抜いて、美しい装丁の青い詩集を放り出した。俺のこと、好きなら好きって言ってくださいよ、とあまのじゃくな心を責めたかったが、残念ながら彼のうたはそこまで軽率ではなかった。

 青木は起き上がって、自分のいのちのよるべを見つめた。恋人の漆黒の瞳を覗き込んでいるはずの、琥珀の深淵に引きずり込まれる。瞳の中の原子に、原子の中の宇宙に引き込まれる。宇宙の果ての美しいことばに、その中で燃える存在の火のきらめきに、引き込まれて溺れていく。

 「あなたが好きです」

 「たまには、僕が知らないことを言ってみろ」

 「あなたがいま言ってくれたみたいに?」

 そしてその荒っぽい手と唇が暴れ出す前に押さえつける。あなたが紡いだことばのように、あなたの弦を震わせたい。真空を奏でる風とは、またずいぶん気前よく讃えてくださったものですね、と喜びのきらめきを秘密の上に費やしながら。

 

**********