こんばんは、生後1か月で安心したのもつかの間、いちばん体のでかい宇野さん(猫)が突然立てなくなり、熱くて、病院へ行きました。
熱が40度を超えてました。猫は平熱が高いので、これはにんげんの薪さんの39度超くらいです(←だからその説明がまぎらわしいっつの)。
とにかく注射を2本も打たれて(あんなに小さいのに、うう)ブドウ糖を供与されて帰ってきて、起きてこないのを寝かせたまま養生。1日たってやっと少しよくなり、経過観察しているところです。
仔猫はほんと油断ならん。いや無理でしょって状態から回復することもあるかと思うと、なんでってくらいころっと悪化することもあります。宇野さん(猫)がんばって。
ペットシーツを敷き詰めた放牧場と、猫室長たちの折詰。曽我(猫、右端)だけ孤独をあいしています。
さてどうでもいい、ほんとーにどうでもいいことなんですけど。
猫室長さんたちが生後5日でうちにきたときに思い浮かんだ、「いま、闘いが始まる」のわたしの中の原型がなんだったのか、記憶を探り続けてこのほど判明しました。パタリロでした。しかもパタリロ本人とは関係ないエピソードで、気に入った話でもない。ただ引っかかってただけ、それがわかってすっきりしました、という話です。
魔夜さんは絵もストーリーもけして好きではなかったのですが(←えっ)、あるときパタリロが理系の天才で性格の悪い いいかげんなやつであると気づいてしまって、すっかり(パタリロ本人の)虜になりました。薪さんとはぜんっぜん違う意味で。
おとなになってから見ると魔夜さんの昔の絵柄は(好みかどうかは別として)繊細でよかったなあと思います。
ということを書いてて思い出したので、話を広げます。
貝沼が殺した少年たちの死体なんですが、わたしあれ、まったくグロいと思わなくてですね。むしろ表情なんか整ってて歪んでなくて、めっちゃ美しいと思いました。あと女医とかチャッピーがバラしたやつも。
林あまりの「誰もよりもきれいな死体になるだろう それが理由で愛した少女」を思い出しました。
思春期を『花とゆめ』(の立ち読み)で過ごしたので、グロいっていうのは、魔夜さんの妖怪もそうだけど、和田慎二先生とか柴田昌弘さんとかは子供にとっては怖いくらいグロかったし、『北斗の拳』だって今の巨人並みに軽く社会問題になるほどグロかった。
※ 間違って三島由紀夫の不鮮明な割腹写真を見てしまったとき、それでもたいへん気持ち悪かったので、どんだけグロく描かれていても絵やドラマと本物が全然違うことは自覚しています。
↑↓ たいした話ではないんですがちょっとでも気持ち悪い話がものすごく嫌な方は飛ばしてください
それに言いたかないけど、猫を中心とした動物が虐待犯なんかにどんな目にあわされてるかを知ったら、死体を切り刻むのなんか、子供の遊びみたいなもんです。
ということでよくある質問ですが、「第九」で働きたいか、というあれ。
わたしたぶんやれると思います。そんで薪さんに「ひろいもんだった」って褒めてもらえるなら、薪さんのその一言だけのために喜んで身を粉にして働く部下になります。
でも混んでる都会に耐性のない田舎者なので、東京勤務は無理だと思われる。第二管区の仙台ですら都会すぎて無理。
このことを真剣に想像して、わたしと薪さんが結ばれる日は(地理的理由で)来ないんだなあ、とかなしくなりました。 アホですごめんなさい
でも「第九」の現場はモニタールームなんだから、都会にある理由は全然ないと思うんですよね。その証拠にテレビ会議したりデータのやりとりしたりして事件に臨んでるでしょ。
第二管区の分室が田舎の山の麓(=いまの自分の生息域)にあったりしたら、くそー東大の法学部を出て「第九」に勤めるだけの脳みそが欲しかった、とどんなにか悔しかったであろう。
とくだらないことをつらつら書きましたが、内心は、もう原稿も印刷も(たぶん)とっくに仕上がって次のメロディが準備されつつあると思うと、その中で苦しむ(←だからなんで苦しむの前提なの)薪さんのお気持ちを考えて、緊張が増すばかりです。うう。