雑種のひみつの『秘密』

清水玲子先生の『秘密』について、思いの丈を吐露します。

トランスジェンダー

 

こんばんは。

今日はちょっと語りたいことがあるので聞いてください。

 

おととい、トランスジェンターについてのウェブセミナーに参加したんです。女子トイレや銭湯にトンラスジェンダーの女だと言い張る男性が性加害目的で入ってきたらどうするんだ、といった感じの、言ってみれば現実的でないトランス排除の言説が飛び交う中、それにどう対処していったらいいのか、というセミナーです。

まずすごく簡単というか大雑把にそのへんを確認すると、次のようになります。

・性加害が目的ならば、それは当事者がトンラス女性であろうが男性であろうが犯罪者であって、当人の性別の問題ではない。

トランスジェンダートランスジェンダーであるだけで社会的に(マイノリティであるということで)差別される側であり、危険な場所でわざわざ名乗り出ることは通常しない。

・トンラスジェンダーはすでに社会に存在していて、(性別適合手術などを経て)女風呂を使ったり、(女性の服装などで)女子トイレを使ったり、している。「どうするんだ」というけど、もうそうなってる。

・シスジェンダーの女性で過去に性加害に逢ったりして、風呂やトイレや女性専用車両などの「女性スペース」を守ろうとする、そこにシス女性でない人が入ってくることに恐怖を覚える人がいることも理解はできる。それは話し合いと相互理解がこれから必要な分野である。

トランスジェンダーの問題は尊厳や人権やプライバシーの問題であり、トイレや風呂の利用というのは人権のほんの一部でしかない。それなのにそこを拡大して取り上げることで、問題が歪められている。

 

セミナーでは、お茶大をはじめとする、トランス女性受け入れを表明した女子大の担当者たちも参加していて、反発や疑問視は外部からくるものがほとんどであり、学内に混乱や反発は見られない、多少OG会から問い合わせがある程度で、そこは説明と対話と説得を試みて相互理解を進めている、ということでした。

まあ大学に関していえば入学時の性別の自己申告あるいは戸籍との不一致が問題になる程度であり、そこは完全にプライバシーの問題だから、学内では問題というより話題にすらならない、というのは、ちょっと考えてみればわかることです。

 

で、びっくりしたことなんですけど。

そういう、トランスジェンダーを社会的に排除しようとする動きにどう対処するか、どう対処しているか、という話をしているセミナーに、わたしは(トランスジェンダーに関してはまだ勉強を始めたばかりで)知らなかったのですが、トランスジェンダー差別者として有名な弁護士がなぜかわざわざ参加していて、しかもそいつ、セミナーで話している内容とは全然関係ないときに、ズームのコメント欄に、「トランス女性だと名乗るシス男性が銭湯に入ってきたらどうするんだ」的な、当事者たちからしたら言いがかりなうえに答えが出ている問題を、わざわざっていうかわざと??書き込んできたのです。

もちろんすぐに「なんでおまえがいるんだよ」的な話になったのですが、当人は「自分は差別してるわけじゃない」と女性の味方気取りで、関係ないところで一方的に自分の主張だけを長々と書き込んでいました。運営側がコメント欄を停止したためあまり荒れる前にそこらへんのやりとりは止まりましたが、参加していた当事者や運営側からしたら、はらわたが煮えくりかえる思いだったんじゃないかと思います。

 

ちょうどのその直前に、「女性スペースを守るとか言って女性にすりよる男性は、だいたいのところ、トランスジェンダーを仮想敵に仕立てて女性の見方のふりをしているだけの、女性差別者」である旨が指摘されたところで、なぜなら本当に女性の味方であるならば、トランスジェンダーを敵に据えるのではなく、家父長制的な男性中心の権力社会の問題を指摘するべきなのに、彼らはそれはしないからです。

そういうことが指摘された直後に、まさにその「女性の味方のふりをした男性弁護士」が恥知らずにも登場してトランス排除の書き込みをしたことで、他人を意識的に差別し貶めようとする人は、どこまでも乗り込んできてそういうことをするんだな、というのを目の当たりにし、ただ傍聴していただけのわたしですら、ほとんど恐怖をおぼえました。

 

 

で、本日。

※ ここから楽しい話になります

上の話を、スカイプで日本語会話をする、というバイトをしている、その会話相手であるイゴールさん(仮名)に、したんですね。

イゴールさんは、わたしの話にひととおり理解を示してくれたあと、

「でも日本人の男性はだいたいがオンナノコみたいな見てくれをしてるから、トランスジェンダーって言ったって別に外見を変えたりする必要はないんじゃないか」

という、驚きというかむしろ笑える意見を出してくださいました。

※ このあたりからは脳内で好きな具体例に変換してお楽しみください

 

これに関してはまず真面目に、トランスジェンダリングの根幹はアイデンティティと社会的不都合の問題だから、他人が見て「別にいいじゃん」と思っても本人が決めることだ、ということと、欧米人から見て日本の男性がどれだけオンナノコっぽかろうと、彼らは日本人からみたらじゅうぶん男性で、場合によってはじゅうぶん男らしい、ということは訂正しておきました。

が、イゴールさんはまだ引き下がらないんですね。

最近プラトン(←)の著作を読んでいるそうで、それによると、プラトンが語る「愛」においては、肉体的なセックスよりも心理的なセックス(というものをプラトンは想定していたそうなんです)のほうが高貴で素晴らしいものであり、心理的なセックスは当たり前ですが肉体的な交わりを伴わないので、ゆえに、古代ギリシャではホモセクシャルが流行した、それも高貴な営みとして流行した、というのです。

彼は続けて、そういう心理的セックスを目指せば、ゲイだろうがトランスジェンダーだろうが、もはやそんなことは気にする必要はない、と主張していました。

 

それについてもわたしからは、そういう心理的セックスを高貴なものとするアカデミアの前提には、社会的に人々が成熟しており、勉強していて賢く、意地悪な心根を持たない(そうでなければ「高貴な」営みなど成立しない)、ということがあるので、理想として追い求めるのはわかるとしても、日本というか現代社会においてはまず無理だよね、ということは確認しました。

 

で、思い出したんですが、うちのツレが学生だった大昔、医局で仲のいいブラックジャック(=先輩)なんかと一緒に難しめの手術や再建に関わると、もうそういうときの呼吸とかリズムとか共同作業そのものが、「あれはまさにセックスだった」ということを、いまでもよく言うんです。

ツレは完全なシス男性でヘテロセクシャルですが、「あいつ(=ブラックジャックの先輩)になら抱かれてもいい」みたいなことは、当然冗談ですが、つまりそれくらい信頼しているという意味で、よく言うのです。

で、プラトンの話をイゴールさんから聞いて、なるほど心理的セックスね、と思ったのでした。

 

イゴールさんからは続けて、欧米ではキリスト教的な考え方からホモセクシャルが禁止されていたけど近年見直されてきている、日本ではどうなんだ、という質問が出ました。

日本でも現代のLGB(T)Q+の問題は人権の問題であり、少しずつではあっても理解が進んできてはいるし、宗教は関係ないので差別と偏見の話になる、ということを話したあとで、近代以前はちょっとようすが違った、という話をしました。

わたしはそのへんの歴史(?)にはくわしくないというか全然知らないので、完全に想像なのですが(すみません)、以下のようなことです。

・サムライのあいだでは衆道のようなホモセクシャル的関係も見られていたが、あれはたぶん本物(?)のゲイではない。なぜならそういった事象が発生したのには、サムライや寺などの「男しかいない」空間という環境要因が大きいと思われるからで、かつ相手として選ばれたのが「美少年」といった「男っぽくない」人々だからである。

・女性も存在していて、夫婦や家庭のあった町民のあいだでのホモセクシャル的な話は、寡聞にして聞かない。当然いたんだろうけれど、そこで聞かないということは、サムライや寺などの外の一般社会においてはそれはおおっぴらに語られることではなく、一部の人々が主張する「日本では古来からゲイはふつうだった」みたいな言説は、実は適切ではない。

 

少し話題を戻しますがイゴールさんからは他にも、個人の属性となるものは性別だけでなく、人種とか国籍とかいろいろあるんだから、性別だけをことさら取り立ててそこを一生懸命変えようとする必要はないんじゃないか、みたいな意見も出ました。

これについては、先にも述べたようにそこはアイデンティティの問題だから、そうはいっても変えたくて苦しむ人がいるということは確認した上で、ちょっとだけ、そういうこともあるかな、と思いもしました。つまりジェンダーがひときわ強調されるのは、個人の属性としてまず取り上げられるのが性別だからであり、社会的に「男か女か」を「問われるから」苦しむのだ、という意味です。服装だの化粧だの「女らしさ」だのを求められない社会があるとしたら、そこにおいては、シス女性もトランス女性も、自分が女性であることについて悩むことはいまより少ないんだろうな、ということです。

 

とはいえそこは、社会とその構成員が成熟していることを前提とした話です。

トランスジェンダーと向き合うセミナーに差別者がわざわざやってきて、勝手に言いたいこと言って、「自分は差別なんかしてないのに差別したとか言われるのは心外だ」としれっと(あるいは本気で)言うような状況においては、理想論はほとんど絵空事です。

 

とにかく今回、LGB(T)Q+の特にTについては、自分でもまだまだよくわからないことが多いので、たいへん勉強になりました。

それとプラトンの語る、至高の心理的セックス。青薪というか青木はまだまだだな、と思ったことよ。青木ごめんな。