先日の面接のときに内職で考えてた、別のショートショート。
↑ 面接官の内職/SS「満月の夜」 - 雑種のひみつの『秘密』
専門外の話が出てきたのでちゃんとわかってる面接官に任せて、わたしはすごい勢いでメモとって(←この行動がもはや圧迫)あとから組み立て直しました。「薪さんが機嫌悪く突っ込みそうな内容だな」と思ってしまいまして。
※ 念のため、面接官としてのわたしは圧迫の「役回り」でした。今年はそれでも誰も泣かなかったから、若者みんな立派だったよ!
第九時代のある日のお話です。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
理論の構造
「薪さん、何読んでるんですか」
青木が岡部に耳打ちするように聞いた。「顔、怖いんですけど」
「捜査資料だよ。被害者の同僚だった記者が書いたものの中に何かヒントがあるんじゃないかって」
「……? それを薪さんが? あんな難しい顔をして?」
「曽我にやらせてたんだが……失敗してな。青木、おまえコーヒーでも運んでご機嫌うかがってこい」
青木は素直にそれに従った。どのみちあんな表情の薪の近くに平気で近寄れるのは青木ぐらいだった。
「なにかご面倒な内容ですか」
カップを差し出して青木が聞いた。薪は視線だけ青木に向けてじろりと睨んだ。
「俺が役に立つとは思えませんけれど、でも――」
「そうだな。無理だ」
薪はコーヒーを受け取った。
「――お話を聞くくらいなら」
受け取って、そのまま音を立てて置いた。
「聞いてどうなるっていうんだ。何かの慰め役か? 僕が理解できないような難しいことが書いてあって僕が悩んでるとでも思ってるのか。それをおまえならわかるっていうのか。コーヒーがぬるい」
「すみません。いやあのコーヒーの部分です。俺がわかるとは思いませんけど、ご不快そうなのでお話でもと思って」
薪は黙って青木をにらみ続けた。青木があと数秒で石になるというところで視線を手元に戻すと、資料を指ではじいて一気に喋り始めた。
「「安部公房の「壁」をレヴィ・ストロース的に解釈すると、男と女、陸と海といった、二項対立のあいだのあいまいなものを語ろうとする姿が見える。」これがここに提示されている主張だが、実存主義の時代に構造的な読み方はいくらでも出てきたけれどぶち上げられてるのはただの解釈で、しかも青臭い文芸担当がいまさら言い出す必要なんかないくらい陳腐だ。レヴィ・ストロースは読者を煙に巻くための小道具で展開されてる主張とは実際は関係ない。こいつほんとに取材を生業とする記者か? なんで知りもしないことを知ってるかのように偉そうにぶちまけるんだ? 前提が現代思想だから脱構築を語り出した時点で――」
「すみませんでした」
青木は素直に謝った。そして、それは何に対する謝罪だ、と叱られる前に、さっと薪の前を去った。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
薪さんはそもそも天才なので別としても、青木だって飛び級で東大文Ⅰに入っているんだから、実は全然わかるんじゃないかと思います。
ここで青木が逃げたのは構造主義がわからなかったからではなく、機嫌の悪い薪さん相手に理詰めで話し合いなんか始めたら、やがて泣いちゃうから、だと思う。